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「Compassion」~チベットからの風~

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 2008年5月、重要な冊子が発行されました。「悲・コンパッション~compassion」というタイトルがオフホワイトの地に記されています。風に舞うタルチョ(チベットの経文が書かれた五色の旗)のイメージが、
そのタイトルに呼応して、風を運んで来るみたいです。シリーズで発行されるものなのか「vol.1 チベットからの風」という表記があります。

 「チベットからの風」。
 これは、チベットの悲劇性を訴えるだけの本ではありません。もっと重要なことを考えようとしている本です。

 発行者は「チベット(問題)を考える真言宗智山派青年僧侶有志の会」。篠ノ井にある長谷寺のご住職・岡澤慶澄さんや、現地を何度も訪れてその現状を熟知している上田・海禅寺の飯島俊哲さんを中心に、各地のいろいろな宗派の僧侶、チベットに友人を持つ方、チベット仏教普及協会の方、さまざまな立場からの寄稿によって構成されています。
 2008年3月10日に、チベットで何があったのか。そして50年前、1959年の同じ日には何があったのか。これまでチベットは、どんな状態に置かれてきたのか。それは、この世界でどういう意味があるのか。そういった、チベットを巡る理不尽な出来事について、いろいろな観点からの評論を集め、他の何でもない、人の幸せを守るための思索を目指した本なのではないかと思います。
 誰かが捩じ曲げた歴史認識ではない、通り一遍の事件記録ではない、ひたすら人間の生命という根源的な視点で編纂された証言集です。

 「コンパッション」、チベットのことを考えるときに、いや、それだけではない、現代を生きて行くのに必要な理念を宣言した序文から、この本は始まります。この難題にどういう姿勢で臨むのか、という覚悟のことです。
 チベットやダラムサラ(チベット亡命政府のある北インドの町)を何度も訪れている、飯島俊哲さんの記述がそれを受けます。
 チベットのこの問題にも、チベットだけではない、世界的で強大な悪因が潜んでいます。それに対面したときに突きつけられる、不可能にも近い困難と、それでも人々の幸福のために闘おうとする、無尽の悲しみと怒りを孕んだ決意を、僕達はこの必死に堪えている一文から感じ取ります。

 チベットはかつて自由な独立国家であり、中国(元~明~清)は、信仰の拠り所として、チベットに敬意を抱きながら共生していました。この関係が変わったのは、ヨーロッパの植民地政策がこの地に及んでからです。清はアヘンを流し込まれて侵略され、植民地化され、その侵略者から政治的軍事的な概念を移植された結果、中国はチベットへの弾圧を始めたのです。
 その勢力というのが非人間的な利己経済思想であり、18世紀以降世界中で戦争や紛争、動乱を起こしている要因なのです。アメリカの第一次世界大戦参戦、日本の真珠湾攻撃、ベトナム戦争、カンボジアの内戦、ルワンダの大殺戮、そのほかあらゆる紛争。煽動によって混乱を引き起こし人々を悲劇に追い込むその手法は今も変わっておらず、日本も現在その渦中にあります。
 人間の、とどまることを知らない暴力的な欲望。
 中国共産党政府を批判するだけでは表層の波紋に過ぎません。暴力を止めさせるために、僕達はまず、そこで何が起きているのかを正確に知らなければいけないのです。

 続いて、チベットに友人を持つあるひとりの女性が仮名で書き記した3月10日を巡る記録。仮名で寄稿しているのは現地チベットの友人に危害の及ぶ可能性があるからです。この誠実な文章により、そこで本当は何が起きているのかが僕達に伝わってきます。

 3月10日の夕方、チベットのラサで始まったのは、拘束された仲間の解放を求める平和的なデモでした。列になって歩き声を上げるだけの平和的なデモです。ところが途中で武装警官に包囲され、何人かが逮捕されます。同じようなことがチベットの他の地域や青海省、四川省などでも起きました。
 翌日、デモによって逮捕者が出たことに抗議した僧侶や一般市民によるデモが各地で行なわれます。今度はいきなり催涙弾を撃ち込まれ、寺院は封鎖され、チベット各地に軍隊が配備されて戒厳令が敷かれ、四川省では警察によるチベット人の射殺にまで至りました。武器を持たない市民の平和的なデモにここまでする異常さ。
 ラサではそこに一般市民の参加が増え、暴動のような様相を呈していったのです。
 日本のニュースで繰り返し放映されたのはこの部分でした。しかも、袈裟を着た暴徒の姿がとりわけ印象的に映し出されています。こんなときはもうお人よしな僕らも騙されません。違和感のあるあれはやっぱり、当局が放ったニセモノの僧侶だったようです。

 この日の出来事から起草して、この項では中国共産党がチベットを侵略してから半世紀の間にどれだけのことをしたのかが冷静に記述されています。僕達のような平和に生きている(?)境遇では想像もできない殺戮と破壊が行なわれていたことがわかります。

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 この絵は、北インド、ダラムサラへ歩いて亡命した子供の絵です。7歳の少年です。子供達は約一ヶ月かけてヒマラヤを越え、ここに辿り着きました。国境で中国軍から発砲され、自分の前を歩いていた友達が足を撃ち抜かれたのです。
 子供達は服の下に小さな入れ物にはいった仏像を下げて歩いて来ました。チベットの家を出るときに両親が持たせてくれたのだそうです。思案の果てに最善の方法として我が子を危険な道程へ送り出さなければならない、今のチベットの親達ができる最大の庇護です。僕達にもヒマラヤを越える険しさを想像することはできます。7歳。小学校2年生です。

     ◇◆◇◆

 この本には、チベットにおける仏教の存在意義、創成期からの歴史、国家という概念、ダライ・ラマの思想と苦難、智慧と慈悲への祈り、そのほかいろいろな評論が掲載されています。知っておかなければならない情報や知識や概念が、いろいろな手法で記述されています。そのひとつひとつが誠実な筆致によって僕達に本当のことを届けてくれます。

 真言宗の立場で編集されたものなので仏教の本かと思うかもしれません。仏教の思想を記している部分も多く仏教用語もあちこちにあります。けれど、それは仏教の思想を伝えようとしているのではなく、仏教者の視点で、僕達が人間としての幸福を守るためにどういう考え方をしたら良いのか、というアイディアを伝えようとしているものです。

 チベットとチベットの問題、それが地球規模の問題であることを提起しながら、編集部のあとがきは俯瞰した視点でこの本の内容を読み替え、これからの可能性を示唆します。
 「慈悲の再生」
 慈悲という言葉に現代はとても鈍感になってしまったと思います。慈悲について正しく考えるということを僕達はして来ませんでした。世の中で起きている多くのことから慈悲が抜け落ちています。人の命が軽々しくやり取りされたり、他人の財布から掠め取るように利益を上げることが礼賛されたり、自分のことしか考えず、そこで何が起きているかを知ろうともしない。
 この社会からこれ以上慈悲が抜け落ちて行くのをなんとか食止めなければなりません。たとえ強大な悪意が厳然とそこにあっても。

 この本は当初関係者向けに発行されたものだったのですが、今後、一般書店でも販売されることになったようです。詳しい販売情報は今わかりませんが、是非、読んで欲しい一冊です。

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【Ngene掲載:2008年6月24日】

チベットの風ホームページ
チベットの問題について、そこで何が起きているのかを正確に知ろうとしないまま、日本の社会は中国とチベットの悲劇的な対立という事件性だけをなぞって終わりにしようとしています。「日本ではひとつの話題が持続する長さは3週間程度」という話もありますが、本当にワンタッチで始まってワンタッチで終わってしまう鶏国になってしまったのですね。本当に考えておかなければならない根源的な問題がそこにあっても、それを関知する力すらもう失せているように感じます。

 チベットで起きている甚大な不幸と、いま日本の社会が抱えている暗澹たる不幸は同じことに起因します。
 人間性を否定する社会の仕組み。それが片や抗いようのない他国の侵略行為だったり、思考をオミットした暴力だったり、片や平和惚けしたアメリカ型消費経済だったりするわけですが、根源は一緒なのです。寝っ転がってバラエティー番組を見ながらゲラゲラ笑っている裏で人間としての尊厳が失墜して行く。命を奪われるような危険な事態は少ないかもしれないけれど、人間として尊重されない、存在意義を失なった人間なんて命を奪われたも同然かもしれません。

 この本は仏教的な世界観、歴史観で書かれています。当然仏教用語もあちこちで使われているので、仏教の教えについて記述された本かと思ってしまう可能性もあるかもしれません。けれど少し読み進んでみると、ここにあるアイディアは仏教のためのものでもなんでもなくて、真摯なジャーナリズムであり、人間が人間として生きることについて深い考察を巡らせた、万人に、森羅万象に通ずる普遍的なクリティックであることがわかります。それは苦悩に近い考察を経た後に言葉として残った芸術的な詩編でもあります。
 芸術的な詩編とはつまり、人間が本質に接近し幸せへ向かうための道標になりうる言葉を使って世界を描いた文筆のことです。

 この本は、チベットで何が起きてきたのかを正確に知らしめ、どこに問題があるのかを適切に提示し、悲嘆にくれ、怒りに震え、寛容な祈りであろうとする記述群で構成されているのですが、それらが総じて示唆しているのは、単にチベットの歴史を知ること、チベットの惨状を訴えることではなく、大きく歪んで急速に劣化していく現代の社会に必要な、有効な理念なのです。

 「人間復興」
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宮内俊宏

Author:宮内俊宏
音楽・文化・アートを柱に、社会が、おもしろく、少し幸せになるような、いろいろなことを試みています。

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