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遠山郷・上村中学校のこと

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 遠山郷。
 南北に細長い谷間、遠山郷の北の入口が上村です。東の山間地には下栗(しもぐり)、『日本のチロル』と呼ばれる急傾斜の集落があり、西の伊那山脈を越えると伊那谷南部、飯田へ通じます。複雑な山襞に沿って蛇行する秋葉街道を北から下ると、最初に信号のある交差点のあたりが、上村の中心地。この交差点に面して、上村の小学校と中学校の正門があります。正門を背に、交差点の反対側の道を入ると、かつての宿場街である上町(かみまち)。風情のある、構えの古い家屋や商店が並びます。郵便局や自治振興センターなどの公共施設も、すべてこの周辺。宿場街の北はずれには、上町正八幡宮。独特の風貌と、眼に見えない不思議なエネルギーを発している、霜月祭の神社です。

 「霜月祭」という遠山郷の誇りを、上村中学校は学校ぐるみ、地域ぐるみで守り続けています。霜月祭保存会、保護者、教職員が一体となって、霜月神楽の継承学習を30年近く続けているのです。しかも、霜月神楽の舞の形だけを保存継承しているのではありません。生徒たちは休みの日を利用して、お年寄りから村の歴史、祭りの歴史を学び、舞の練習を重ね、その意義、精神性をしっかりと身につけながら、霜月祭を受け継いできているのです。これは、民俗芸能を過去の遺産と位置づけた、伝統保存の方法とは違います。地域が活きて行くために、地域が前進するために利用可能な、未来につながる資産として、霜月祭を認識した方法です。

 上村中学校の文化祭『しゃくなげ祭』では、1979年以降、毎年『郷土の舞』というプログラムが設けられていて、上町、中郷(なかごう)、程野(ほどの)、下栗(しもぐり)、四地区それぞれの生徒たちによって、各地区に伝わる舞が披露されてきました。
 近年では、『しゃくなげ祭』だけでなく霜月祭本祭でも舞うことを許され、12月には各地区ごとに本祭に参加して、舞を披露しています。これは、霜月祭の流儀からしても、とても画期的なことだと思うのですが、単なる継承活動に対する理解協力ではない、もっと大きな、未来へ向けてのコミュニケーションを感じます。
 一度見ればわかることですが、上村中学校の舞は本祭への参加を許されるほどに質が高く真剣なものなのです。
 惹き込まれます。この『郷土の舞』の魅力は、30年、そして更に充実したこの10数年の継承活動がいかに価値の高い活動だったか、ということを表しているのです。

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写真提供:田中清一教諭

 その上村中学校が、今年春、廃校になります。
 今週、最後の卒業式、終業式、そして閉校式が行なわれました。
 霜月祭への取組みを担当する最後の教員となった田中清一先生のお話に沿って、上村中学校のこの取組みの意義について考えてみようと思います。

 田中先生は長野県松本市出身。教員になった初期から、市街地の大きな学校よりも、僻地と呼ばれる地域の小さな学校での勤務を希望していたそうです。
 ところが、初任地は長野県佐久市。市街地の学校でした。初任者研修で、僻地教育の実践発表として上村中学校の事例に触れたことがあるそうです。それですぐに上村中学校への赴任を希望したわけではないのですが、いわゆる『山の学校』への憧れがますます高まり、なんとなく「上村がいいな」と、この頃から思い始めたようです。

 『山の学校』への勤務希望を出して、次の任地が飯田市旭が丘中学校。かつての伊賀良(いがら)中学校と山本中学校が統合してできた、人口増加地域のマンモス校です。『山の学校』を希望したのに、なんでこんなでかい学校なんだ!
 それが10年前のことでした。このとき初めて、南信地域に足を踏み入れたのだそうです。

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 社会科が専門教科だった田中先生は、飯田下伊那の学校から集まる社会科教員の会合で、当時、上村中学校に赴任して、霜月祭の活動に取組んでいた、丸山貢弘さんの話を聞いて、俄然上村中学校に興味を持ったそうです。
 元来祭り好きで、子供の頃から地元の祭りによく顔を出し、神社仏閣、道祖神を巡る少年だった田中先生。僻地教育に対する認識と霜月祭への興味が高まって、その頃から上村中学校への赴任を希望し始めたそうです。

 社会科の先生になったのは、やはり社会学的なことに興味があったからなのです。田中先生は、もともと人間と社会の在り方についての認識と、基礎的なアイディアを持っていて、日本の国土利用の矛盾、人口偏在の弊害、過剰な経済偏重などに問題を感じていました。そしてさらに、そこに起因しているネガティヴな事象の解決方法、いまだに日本の社会が持ち得ていない、ここから前進するための方法を編み出すヒントが、日本古来の文化の中にあるということを予感しているのです。

 30年前から霜月祭に取組み始めた上村中学校。上村中学校に赴任する教職員は必ず霜月祭に関わります。そして、前述の丸山先生赴任以降、およそ10数年前から、その関わりは更に緊密になっていて、赴任すると必ず、自分の笛を持ち、神楽の旋律を吹き、『郷土の舞』や霜月祭に参加するのがあたりまえ。最近では、太鼓も叩くし、神楽を舞うこともできる。これが、上村中の教職員の間に、伝統としてずっと受け継がれてきたのです。

 教職員がひとつの学校に赴任している期間は、およそ2年か3年。何人かの先生たちが少しずつ時期をだぶらせながら、入れ替わり立ち替わり、学校は運営されて行くのです。ということは、丸山先生以降、順次上村中学校に赴任する何人もの先生達が、その伝統を途切れさせずに、それどころか更に盛り上げながら、受け継いで来たのです。
 これは奇跡的なことに思えます。いわば上意下達の人事異動で、10年以上に渡って、学校の教科とは関係のない、伝承芸能のことを受け継ごうとする先生達が続いた、ということなのです。

 田中先生いわく、『山の学校』を希望して赴任する先生というのは、何かを持っているようです。
 『山の学校』という、のんびりしたノスタルジックな響きに比して、やはり勤務は大変です。通勤ひとつとっても、距離、環境、条件、市街地の学校と比べてとても厳しい。利便性が低く、物資は少ない。そんな学校に行こうという先生は、やはり、何かを持っている人材なのです。上村中学校の中を歩いてみると、どの教室へ行っても、どの先生も、しっかり、興味深い教材を準備して、とても有意義で個性的な空気を感じます。表現は難しいのですが、大きな力、先生としての職業的な体力というか、先生である以前の人間的な力というか……。
 それは、指導力とは別の、人間の力。先生としての指導力だけではない基礎的な人間の力。そして、その人間の力が生み出す行動の動機。人間や社会がどうあるべきかという全体性も踏まえた、それぞれの教育の力です。それは、創造性を伴なっていないと成立しない能力です。

 教育の現場だけでなく、今の社会では、この人間の力が価値観から欠落してしまっています。全体性や創造性を伴なわない、細分化された技術だけが問われ、社会全体、人間全体を創造し、前進させて行くという観念が欠落してしまっているのです。古来、人間や社会に新しい局面を提供して来た全体性、創造性という観念が。
 この欠落状態は、社会の前進を阻んでいるだけでなく、劣化を招くことにもなっています。自分だけ良ければいい、騙してでも勝ち残ればそれでOK、という世の中。自分達がなんのために存在するのかという、人間存在の根幹、本質を見失った社会を作っているのです。社会全体が良くならなければ、自分の立地は危うくなる、ということを考えない。これは、実は日本の社会が、いま一番最初に修正しなければならない基本概念だと思います。

 創意にあふれた魅力的な教室。わくわくします。おそらく、歴代ここに赴任する先生達はみんな、そんな何かを持って、教育の現場に立つ人たちだったのではないでしょうか。上村を経験した先生達は、今でも時折集まるそうです。同じ使命を帯びた人たちでないと共有できない空気が、きっと、ここにはあったのだろうと思われます。そこに集まった人たちのアイディアから生まれ、そこに集まった人たちを育て、そこの個性を育み、そこの存在意義を作る空気。そんなものが、上村中学校には醸成されていたのです。

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 上村中学校の先生達は保護者のみなさんを名字ではなく名前で呼ぶそうです。「鎌倉さん」とか「松下さん」ではなく「博登志さん」や「京子さん」というふうに呼ぶのです。ここの流儀に従って自然に名前で呼ぶのです。自然にお父さん、お母さん、地域の人たちと交わることのできる先生が多いらしいのです。
 たぶん、人間や土地の力が強いこういった山間地では、そういうことを自然にできる感覚が重要です。それは何も特別なものではありません。人間と人間が出会い、暮らして行くときには本来あたりまえに必要とされる感覚、自然にそこにある環境に溶け込む能力です。
 そして、地域に溶け込むということは、そこに住んでいるとか、通っているとか、そういうことだけが問われるのではありません。そこで暮らしている人々の心に繋がっているかどうか、ということが問題だと田中先生は言います。その地域の暮らしを全うしようとすることばかりが重要なのではなく、暮らしてなくても、そこの魅力も辛いことも知っていて、想像力を最大限に駆使して、そこにある暮らしのことを敬愛できるかどうか、ということなのです。

 ◇◆◇

 山間地の暮らしは不便です。市場原理だけで解釈したら消滅するしかないくらい、山深い遠山郷の暮らしは不便です。けれど、不便とされている現象は、すべてが悲観的なことでしょうか、あるいは、利便性って何でしょうか。便利なことはいいことです。けれど、今の日本にある利便性のどれだけが、僕達のためになっているのでしょうか。
 便利なことは有益で、人々は全員それを目指す、ということを信じて殺到してきた日本の社会も、快感原則の先に、更なる精神的な充実を目指す人間の本性のことに、そろそろ気づいても良いころ。有益な便利さと有害な便利さ、回避するべき不便と魅力のある不便も、本当は違いがわかるようになっているはずだと思うのですが。

 人口が減少すると制度上の規則で学校がなくなったり村がなくなったりしますが、それは行政上の変化なのであって、その地域の存在意義を計るものではありません。上村は平成10年に飯田市と合併しました。そのとき上村の人口は630人。現在は600人を切りました。上村中学校の生徒数は11人でこの春廃校になりますが、上村小学校は現在20人。このまま行くといずれ、小学校がこの地域で存続できなくなるときがやって来ます。地域の拠り所のひとつである学校が消滅したとき、この地域の核になるものは何なのか。
 こういった山間地の暮らしのありようを、これからどうしていくのか、日本の社会は、そのための方法を創って行かなければなりません。今まで市場原理一辺倒で馬車馬のように進んで来たために、こういった現象に関する対処方法が、あまり考えられていないのです。過剰な経済偏重のために、財務的価値以外の価値観について理解できる能力もありません。日本の社会はもう一度、自分達のために、自分達が豊かに暮らして行くための能力や感覚を取り戻さなければならないとこるにいるのです。

 「温故知新」。
 ヒントは歴史にある。現代社会で埋もれてしまった伝統的な生き方、知恵がヒントになる筈です。かつての日本の社会、生き方、知恵は、日本の国土、風土から発生した、自分達が豊かに生きて行くための方法でした。
 田中先生が上村に来てから、総合学習という時間で、子供達が村の人達に話を聞くことを始めました。「這い回る学習」だそうです。上村じゅうを歩き回って、祭りや村の歴史について聞き取り調査をするのです。最初のうちは、祭りの歴史や風俗について学術的な話、観光パンフレットに解説されているような、誰に訊いても通り一遍の話が出るだけでした。
 「なんだか面白くない」。
 「子供達が学ぶべき本質的なことではない」と感じた田中先生は設問の方向を変えます。村の人々に「あなたにとってお祭りってなんですか?」という質問を向けるようにしてみました。そうしたら、面白い話がどんどん出て来るのです。おじいさんたちの昔語り。ひとりひとりの極めて個人的な物語、ひとりひとりの主観に立ったいろいろな物語、愛情のこもった物語がどんどん出て来ます。そのひとつひとつ、ひとりひとりの物語を繋げて積み重ねて行くと、とても豊かな上村の物語ができてくるのです。上村中の子供達は上村のお年寄り達にいろいろな話を聞きました。昔の物語を聞き、祭りの話を聞き、森や林、山の話、一年間の暮らしの話、人生の話を、上村を誇りに思っている人たちの話を聞きました。

 そうすると子供達は、「おじいちゃんたちの話を聞いているうちに、上村のことをどうでもいいなんて思えなくなった」「不便で何もないところだと思っていたけれど、必ず帰って来たいと思うようになった」という気持ちを結ぶようになったのです。
 「下栗はずっと下栗であってほしい」。
 とても重要なことです。
 「上村の魅力は?」
 「上村を本気で好きだと言える人が上村にいることです」
 それが、その地域の存在理由です。地域の存在理由。地域にとってまず必要なのはその存在理由です。その存在理由はそこにいる人々が、人々の基礎的な認識が作るのです。それがなければ、どんな施策を講じても地域の活性化などありえません。

 ◇◆◇

 何が大切なこと、本質なのかということに辿り着いた上村中学校の存在理由は、それを導き出したこの学校の先生達の文化。それが、上村中学校の豊かな空気感を醸成しています。文化とは、いろいろな人々が醸し出すその場所の空気と、その空気感を関知して集まって来るいろいろな人々の新しい空気が反応し合って、個性的な、有意義な智慧として結実したもののことを言います。
 社会の趨勢に従って、その場所に住む人数は多くなったり少なくなったりしますが、少なくなったからといって、その場所の存在理由や文化が失なわれるわけではありません。たとえ誰も住まなくなったとしても、その場所の文化は、その場所を記憶する人々によって受け継がれ、その人々が正しい認識力を持っていれば、表現方法は変わったとしても、その本質にある人間として大切な部分は、ちゃんと残って行くのです。

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 さて、そんなユニークで価値の高い文化を醸成した上村中学校も、終わりになってしまいました。来月からは、遠山中学校に統合されます。上村中学校の先生達と生徒達、そして保護者や保存会の人たちが一緒になって作り上げて来た、素晴らしいムーヴメント『郷土の舞』はどうなってしまうのでしょうか。

 昨年11月8日、最後の『しゃくなげ祭』が行なわれました。「春が来たらこの学校はなくなってしまう」という最後の学校祭です。そこに、次の春から一緒になる遠山中学校の生徒さん達が招待されました。遠山中学校は、上村以外の遠山郷、木沢(きざわ)と和田という地区の子供達が通っています。その生徒さんたちがみんな『しゃくなげ祭』に参加しました。そのとき『郷土の舞』をみた遠山中学校の生徒さんたちが、全員、「かっこいい!」と感じたというのです。それはそうです。僕達が見ても魅力的だと思う『郷土の舞』、人を魅了する本物です。何年もかけて歴代の教職員や生徒たちが積み上げて来た、本物の表現なのです。もともと、そのDNAを持っている遠山郷の子供達が「かっこいい」と感じないはずはありません。上村とは反対側の南の地区、和田。近年、ここの子供達は、小学校まではお祭りに参加しても、中学校に行ったらやらなくなっていたらしいです。ところが、昨年暮れの霜月祭には、何人かの子供達が舞の練習に参加するようになったのです。

 これが、誇り高い文化の姿です。
 誰かが決まりを作ってやるのではなく、誇りを持って、ひたすら切磋琢磨した人たちの本物の表現、エネルギーが人を惹き付け、その発露に触れた人々の間に憧れを誘発し、人を動かし、融合し、新しい局面を生みながら、前進して行くのです。それが文化、社会を前進させる技術なのです。

 日本の農山村は人口減少傾向にあります。それを「過疎」という言葉で表現して「どうしたらいいかわからない」ことになっています。たぶん、いつまでも「過疎」という方向でものごとを考えていたら日本の社会が豊かになるときはやって来ないと思います。「過疎」という概念自体、市場原理に則った、消去法的な考え方だからです。新しいアイディアを見つけ出さなければならないときに、消去法的な考え方は何も生みません。インダストリアルな時代は終わったのです。つまり、新しい時代を作らなければならないのです。既存のアイディアで乗り切れるはずはありません。新しいアイディアを生まなくてはならないのです。

 新しいアイディアは、どうやったら生むことができるのか。

 上村中学校はなくなります。けれど、ここで生まれた知恵はきっと、この遠山郷でちゃんと活き続けて行くのです。社会がどういう状態になろうと生き続ける人間社会の知恵。これが、人間が生きている意味、人間社会がそこに存在する理由なのです。
 今月、まさに今週、幕を閉じた上村中学校で今まであったことと、統合先の遠山中学校でこれから起きて行くであろうこと。これを知ることが、今の社会にとってとても大切なことなのだと思います。

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【Ngene掲載:2009年3月21日】
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Author:宮内俊宏
音楽・文化・アートを柱に、社会が、おもしろく、少し幸せになるような、いろいろなことを試みています。

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