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「事の神送り」を追いかける(その3)

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 飯田市千代。
 伊那山脈の懐深く、伊那谷、竜東地域の最深部に位置する山里です。伊那谷の南端、天竜川の河岸段丘が狭窄した地点、時又や天竜峡あたりから西の山へ分け入った一番奥にある地域です。

 2月8日、「事の神送り」が千代の北部、芋平(いもだいら)と野池(のいけ)というふたつの集落から始まります。各地で行なわれるコトヨウカ行事の中でも珍しい、複数の集落を繋いで行なわれる神送りです。
 芋平から東廻り、そして野池から西廻り、神送りはそれぞれ別のコースを辿って北上し、戦国時代、武田軍と渡り合ったこの地の領主・知久頼元(ちくよりもと)の居城があった神之峰(かんのみね)の北麓で合流します。

 芋平、野池、この隣り合ったふたつの集落は、ともに諏訪神社二の宮として中世以来の歴史を持つ野池神社の氏子集落。古くは南山郷と呼ばれた地域で、中世の農山村の社会構造を探るいろいろな手掛り、山間地の習俗、古い文化財や豊富な民俗行事を今でも濃密に伝承している地区です。

 そんな独特な地区から始まる「事の神送り」。いろいろな観点で興味が尽きません。
 特に芋平からは強烈な愛嬌のあるワラ細工のご神体と特徴的な造作のドーム状のミコシが送り出され、それを上久堅の各集落の人々が受け継いで送って行くのです。とても楽しそう!ということで今回は「芋平発東廻り」の「事の神送り」を追いかけるのです。
 フォーラム南信州(※前述)のチームは、早朝から追いかけていた越久保の「風の神送り」(※参照)が長引いたため、予定の時間より少し遅れ気味で集合場所の芋平集会所に到着。

 芋平集会所は、地形に沿って複雑に曲がりくねった山道の奥にありました。広い庭があって、庭の外縁にはずらりと神様が並んでいます。ここは神様の多い土地です。山の神、屋敷神、馬頭観音、お不動様、蚕玉神、風の神、いろいろな石碑や石像が里のあちこちに祀ってあります。
 庭の土は黄白色の粗い砂礫状、竜東山間地特有の柔らかい土です。周囲は森。すぐ隣りに大きな池があります。このあたりは意外と水が豊富らしく、芋平と野池の間にある「野池神社」を中心に、大きな池がそこかしこに見られます。野池神社の境内にも大きな池があって、そこは昔から旱魃があっても涸れたことがないそうです。

 そういうわけで、2月8日、朝10時。本日も快晴。芋平の集会所で「事の神送り」の準備が始まりました。

 集会所には芋平の人々が大勢集まっています。おじいちゃんもおばあちゃんも、若い世代も子供たちも集まっています。芋平の集落は現在23世帯。小さな集落なのですが、そのわりに随分賑やかです。ここの人々はみんな総出で祭りをするのですね。とても結束の強い集落なのです。
 山村地域というのは若年層の流出が必ず問題になります。こういう行事を見ても高齢者が目立つことが多いと思いますが、ここはそうではありません。実際、芋平は地元に定着する若い人たちの人数が多いそうです。
 なぜなのでしょうか。
 もちろん、たった一日の行事を一緒にしただけでは何もわかりませんが、数時間一緒にいただけでも明らかに感じたのは、芋平の人々は自分のところの生活文化に高い誇りを持っているということです。そして、どの世代もアツい。どうやら芋平はとても個性の強い独自の流儀をいっぱい持っているようです。

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 藁細工のご神体作りが進みます。
 オトコガミサマとオンナガミサマ。藁を縛ったり折返したりしながら、だんだん体ができて行きます。写真手前にあるのは女性器と男性器、……随分立派です。
 別の部屋では大旗を作っています。
 旗は2流。赤い紙を中に挟んで白い紙を貼り継いだ地に「千早振る二月八日は吉日ぞ、事の神を送りこそする」と墨で書きます。赤い紙には魔除けの意味があるそうです。

 庭ではミコシ。
 太い藁束を繋いで直径50センチくらいの輪を作ります。割竹をアーチ状にしならせて骨組みを作り、檜の枝をかぶせていきます。緑色のドーム状のミコシができます。そのドームの頭頂部に幣束を立てたり赤と白の紙飾りを垂らしたりします。
 庭の端には、芋平の家々から持寄られた笹竹(送り竹)が集まっています。家の厄神をつけて送り出すための送り竹です。この送り竹で家中すべての部屋を祓ってから、各自ここに持寄るのだそうです。「馬」という文字を書いた短冊がたくさん付いてます。短冊に書く文字や絵柄は各地区さまざま。芋平では「馬」や「申午」「風の神」と墨書きしたり、猿と午の木版図を刷った短冊が多いようです。白い紙包みは「おひねり」。家の人の盆の窪の毛を抜き、爪を切り、洗米と一緒に入れてあります。不思議な取り合わせですね。

 ◆◇◆

 完成したご神体とミコシがこれ。なかなかすてきな出来上がりです。

 オトコガミサマとオンナガミサマは、完成後少しの間こうやってミコシの前に飾られていますが、ほどなくミコシの中に納められます。
 昔はカミサマをこんなふうに公開することはなかったそうです。人のいないところで極秘に作られ、ミコシができあがると人目を避けてすかさず中に入れられたそうです。作り方も秘伝で、ミコシの中を覗くことも禁止されていたということ。
 こんな愛嬌のある形をしていますが、そんなふうに秘匿されて畏怖の念が加わると、このふたり、ミコシの下から見上げたときにブルルッと怖さを感じるかもしれません。

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 すべての準備が整いました。
 ミコシの前に集まって太鼓と鉦に合わせて念仏が繰返されます。
 集会所の脇にある池の方で、ぱあん!という空鉄砲の乾いた音が響きました。
 「事の神送り」の出発です。

 芋平集会所から北へ、上久堅・蛇沼との境を目指して祭列は緩やかな山道を下って行きます。太鼓と鉦、幣束、旗、ミコシの順番に並んで進みます。その後ろに思い思いに送り竹を持った人々が続き、最後にもう1対の旗と幣束を持った人がいます。
 太鼓と鉦に合わせて祭列はゆっくりと進みます。

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 ◆◇◆

 芋平には「よこね田んぼ」という棚田群があります。芋平集会所の北向きの坂道を下ったあたりの窪地にあります。「日本の棚田百選」に選ばれているなかなか見事な棚田群。
 田んぼの数は110枚。南北に細長い窪地の南西向きの斜面に営々と築き上げられてきた叡智と努力の結晶。美しいです。
 田植えの時期、あるいは黄金色の収穫の時期に眺めてみたい風景です。夏の蛙の声もすてきかもしれません。
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 「よこね田んぼ」がある場所は芋平なのですが、田んぼの持ち主は芋平の人々だけではないそうです。野池の人の持っている田んぼも多く、隣りの谷筋の荻坪(おぎつぼ)や北隣の上久堅にも持ち主がいるようです。
 山間地にはよくある形だと思いますが、耕作に適した土地をみんなで分け合って利用する方法です。いわば水田団地、農業団地でしょうか。山林も「共有林」という考え方があって、村の人が総出で手入れしながら林業を営みます。かつては春の植林、夏の下草刈りなど、総出で行なう年中行事としての山仕事がありました。
 現在のような産業経済の構造の中で、農業や林業に携わる人が不足しているといわれる現在の社会でこの方法は今どうなっているのか、あらためて取材をしてみたいと思います。こういった古来の人々の営みは、残すべき過去の遺産ではなく21世紀に利用可能なアイディアの源泉である可能性が高いかもしれません。

 「よこね田んぼ」の傍らを通り過ぎて曲がりくねった道を下り、祭列は上久堅蛇沼との境までやって来ました。大旗、幣束、ミコシ、送り竹、路肩の土手にすべてを置いて念仏を唱えます。
 ばあん!という空鉄砲の音がふたたび芋平の尾根の向こうで鳴り響くと、それを合図に芋平の人々はみんな一斉に来た途を戻ります。
 絶対に後ろを振り返らないように戻ります。
 路傍に置かれた祭列の道具は、次に蛇沼の人々が運びに来るまで放置されます。

 ◆◇◆

 行事が終わると、芋平の集会所では慰労会が始まります。

 おとなも子供も、芋平の人々がみんな集まって、にぎにぎしく楽しい慰労会。フォーラム南信州の参加者も一緒に混ぜていただいています。芋平の長老や区長さん、地域の行事を牽引している方々が代わる代わるやって来て、芋平のいろいろな楽しい祭りについて、魅力的な民族文化について、誇り高い精神風土について語ってくれます。楽しい人たちです。
 たぶん、この宴は夕方までのんびり続くのですね。終わるまで、陽当たりの良い集会所で、芋平の人々とゆったりいろいろな話がしたいと思いました。

 ◆◇◆

 けれど、今日のテーマは「事の神送り」を追いかける。
 追いかけなければなりません。
 芋平集会所で小一時間ご馳走になって大急ぎで蛇沼へ、さっき「事の神」を置いて来た村境へ向かいます。

 午後1時。芋平境には蛇沼の人々が集結していました。

 区長さんが挨拶をして、みなさん銘々に祭列の道具を取り上げます。
 この日は蛇沼の人たちだけではなく、東京からバスでやって来た数十名の方々が蛇沼の行列に参加しました。上久堅の地域づくりに取組んでいる「愉快な仲間たち」が企画した「南信州ふんどしの旅」という旅に「事の神送り」参加が組み込まれたものです。
 そこにフォーラム南信州の一行も加わって、なかなか賑やかに、祭列は平栗境を目指して北上します。大人たちに交じって小さな子供たちも送り竹を運びます。
 2月8日という日が決まっている行事なので休日ばかりとは限りません。平日になった場合は学校があるので子供たちは参加しないことになります。時間勤務の会社員なども参加はできません。今年はちょうど日曜日に当たったのと、「愉快な仲間たち」「フォーラム南信州」の企画が重なって10年ぶりくらいの賑やかさらしいです。
 とても大切な祭りです。「今日は祭りだからお前ら学校休んでもいい!」と、学校も親も平気で言えるような世の中になったらいいですね。
 たぶん、この社会にちょっとした価値観の変換が起きれば可能なことです。

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 大旗を持って先頭を切るのは区長さん。その後ろに太鼓と鉦、幣束、そしてミコシ、その後ろに送り竹の列。並び順はいろいろです。

 蛇沼は、もともと蛇沢、沼塩というふたつの地区が合併してできた地区です。そのためか、出発点の芋平境から終着点の平栗境、細久屋峠までとても距離が長いのです。祭列はいくつかの集落を越えて行きます。
 路傍のお地蔵様も見物しています。ほんとにこの地域はあちこちに石像や石碑があります。

 最後の集落を抜けて長い急坂を登り、平栗境の細久屋峠に到着。大きくカーブした峠道の端にすべての道具を置いて、蛇沼の「事の神送り」は終了です。
 終着地点で希望者はミコシの下をくぐります。大勢の、しかも東京からわざわざ訪れた参加者がいるのでなかなか終わりません。思い思いにくぐります。時折、オトコガミサマとオンナガミサマを見上げて笑顔がこぼれます。小さなコップでお神酒が振る舞われたりしています。

 ひとしきり賑やかに集った後、「南信州ふんどしの旅」の面々はバスに乗って帰途に着き、蛇沼の人々も坂を下りて帰って行きます。
 絶対に後ろを振り向かないように。

 「事の神送り」は、このあと順次、平栗、落倉(おとしぐら)、小野子(おのこ)、3つの地区をリレーして行って、夕方には堂平との境に到着。そこの道端で一晩寝かされます。

 長い歴史の間に、それぞれの地区にいろいろな状況の変遷があったと思います。社会構造、産業や経済の変化、行政の事情、今もさらに激しい変化に晒されているはずです。消費経済が極度に浸食した社会では、市場原理はこういった末梢にある山間地ほどきつく作用します。いろいろな状況の中で、複数の地区が別々に、けれど連携して営々と続けられて来た珍しい行事「事の神送り」。

 それぞれの事情を伺わせながら北のはずれまで続く祭列の様子は(その4)に続きます。

 ~つづく~
【Ngene掲載:2009年2月16日】

「事の神送り」を追いかける(その2)はこちら
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宮内俊宏

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音楽・文化・アートを柱に、社会が、おもしろく、少し幸せになるような、いろいろなことを試みています。

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