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「事の神送り」を追いかける(その2)

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 ◆◇◆

 越久保の落着いた静かな夜が明けました。
 今日も快晴。
 上久堅は標高750メートル。本来は極寒の2月8日のはずですが、夜の空気は冷え冷えとしていたものの、雪もなく朝から暖かな日曜日です。昼の間に暖まった越久保センターの木造家屋は、朝までまったくストーブもコタツも使わずにぐっすり寝心地満点でした。

 早朝6時。
 前夜事念仏をした子供たちが集まって来ます。紙でできた大旗と小旗、2本の旗が出発を待っています。この旗は10日ほど前からみんなで越久保センターに集まって作ったもの。新聞紙を芯に白い紙を貼り付けてあるので、紙製といえども随分厚みがあってしっかり丈夫そうです。竹の支柱を通す部分は太い糸で縫い付けてあります。「南無阿弥陀仏」の六文字を書く部分に貼ってある4色の色紙がなんともいえない原初的な魅力を感じます。

 越久保の8日の行事は「風の神送り」といいます。ここの神送りは他の地区と連携せずに単独で行なわれるタイプのもので、祭列の様相もだいぶ違っています。地理的な要因でしょうか。他の地区が概ね南北に並んで上久堅を縦断する道に貫かれているのに対して、越久保だけが風張から分岐して小川路峠に向かう秋葉路の途上、越久保より先は山中に入るため地理的には独立しています。秋葉路から派生した経済的な事情も他の地区とは少し違っていたと思います。いろいろな時代の社会の趨勢とそれぞれの地域が抱える事情、人々の創意によって祭りの流儀はいろいろに変化するものです。

 午前7時、太鼓と鉦が打ち鳴らされ、子供たちの元気な声が聞こえ始めました。「風の神送り」出発です。

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 越久保センターを出た祭列は「神送りの歌」を詠いながら秋葉路を登って行きます。相変わらず早足です。

 「送り神を送れよ、何神(なにがみ)送れよ、かぜの神を送れよ、どこまで送れよ、法現坂(ほうげんざか)まで送れよ」

 東の山々からまだ太陽は上がって来ていません。天竜川東岸、竜東はどこも朝陽の光が射し始めるのが遅い。伊那山脈の西側の斜面、背後に高い山を背負っているので、特に冬は陽射しを感じるようになるのがとても遅いのです。

 集落を登りきったはずれにある橋の上で、子供たちは2本の旗を倒して道路を区切ります。二手に分かれた子供たちが相手の頭を叩いて勝敗を競う「頭たたき」という遊びをするのです。これも越久保だけの独特な風習。法現坂に到着するまで、ここ、集落の一番上にある橋と、真ん中にある大西屋商店の前と、一番下にある法現坂(最後に送り神を捨てる場所)と、3カ所で「頭たたき」をします。

 頭を抑えることで勝敗を決めるのです。当然、体の大きな上級生の方が有利です。相当すばしっこくても、体の大きな上級生にはなかなか勝てません。それでも、小さな子は必死になって飛び上がったり、後ろへ回り込もうとしたり、一生懸命戦います。女の子も負けん気強そうです。
 特に厳密な、あるいは判りやすい共通ルールがあるわけではなさそうです。両軍の大将が指名した1対1で戦うこともあれば、微妙に1対2のこともあれば、最後には残っている何人かが入り交じって戦っています。
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 果敢に上級生に挑戦するちびっこい下級生。その挑戦をニコニコあしらいながら、最後にはおもむろに頭を抑える上級生。橋の欄干に上がって戦おうとしている下級生が危なっかしいところに立つと「そこ危ないから下りろ」と注意します。女の子も対等に上級生に挑みかかります。勢い余ってひどく転んだ女の子に上級生が駆け寄って様子を見たりします。
 ものすごくシンプルな遊びの中から、子供たちは集団でものごとを進めて行くときの大きな理を感じ取っているように思えます。

 ひとしきり「頭たたき」で遊んで、「風の神送り」は秋葉路を引き返し下り始めました。太鼓と鉦と歌声が元気良く足早に谷間を移動して行きます。

 秋葉路を少し下ったところで、街道沿いに流れる川を対岸の集落へ渡ります。前夜の「事念仏」と同じ順路。「事念仏」のように枝路の末端まで入って行くことはありませんが、ほぼ越久保全体を一周する周回コースです。

 対岸の山々に朝陽があたって明るく輝いています。自分たちのいる場所はまだ陽射しがなく寒々としています。太陽が高度を上げるにつれて朝陽の線が徐々に近寄って来る。これが伊那山脈を背にした伊那谷竜東地区の朝の特徴です。

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 越久保の集落を歩いていると立派な門構えや大きな蔵のある家が随分多いことに気付きます。大がかりな築山や池を設えた広い庭も多く、集落に空き家が目立つ一方で、この地域がかつて経済的に豊かだったことを窺わせます。どの家も古びて行く建物を丁寧に手入れしながら長い年月を暮らして来ている様子です。

 急峻な地形と痩せた土壌のために農耕が困難だったこの地域は、秋葉路を往来する人や物、流通によって潤っていたのです。「馬宿」と「仲買」。越久保の集落には随所に「馬宿」の跡や「仲買」に由来する屋号などが見られます。

 江戸時代前期、農家の人々が副業で馬を使った運送業を始めました。古来有数の馬の産地だった信州は、荷主から送り先まで直接農家の人々が馬に乗せて運ぶ仕事が盛んになり、「仲馬(中馬:ちゅうま)」とか「馬稼ぎ」という呼び名で専業化が進んで行ったのです。

 この馬による輸送を支えていたのが「馬宿」。越久保の秋葉路は、遠山郷・上村の秋葉街道本線と飯田城下・八幡神社門前までを繋ぐ道です。秋葉講、善光寺詣でや物資輸送の往来で賑わう街道の、ちょうど中間地点にある越久保に「馬宿」が集まり、生活物資の中継点として「仲買」が隆盛したのはとても自然なことだったわけです。

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庭とおばあちゃん

 この庭は越久保の中ほど、秋葉路沿いにある「油屋」という屋号のお宅です。背後の山々を借景にしたなかなか見事な庭です。もともとコウゾを栽培して紙を作っていた家なのですが、油の仲買に転じて油屋という屋号になったそうです。この地域の産業の変遷が窺えます。
 今はこの大きなお屋敷におばあちゃんが独りで住んでいます。深く腰の曲がった高齢のおばあちゃん、この起伏に富んだ庭を元気にぴょんぴょん飛び回ります。丁寧に庭や家屋を手入れしていますが、おばあちゃん独りではやはり限界もあって、あちこちに手の届かない部分が出ているようです。

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 「風の神送り」はどんどん進みます。早足です。
 この先のカーブにも随分大きな家が見えます。薪ストーブの煙が上がっています。薪の燃えるいい匂いがします。もともと住んでいた人が随分前に転出して長らく空き家だったのですが、去年、京都から若い方が移り住んだそうです。祭列の音を聞きつけて飼い犬と一緒に道まで出て来られた、なかなかセンスの良さそうな方ですが、近所の方々とももう顔馴染みのようです。

 山の方から下りて来た周回路が秋葉路に再び合流する越久保地区の中央部。「大西屋商店」というお店の前の交差点で「頭たたき」の第2ラウンドです。
 最初のときよりも更にエキサイトした戦いが繰り広げられます。つんのめって勢い良く転んで半回転した女の子が、しばらく痛そうにうずくまります。大丈夫かな。
 見物する大人たちの数もだいぶ増えています。そういえば、頭取の背負う太鼓に挿された「お宝」五色の幣束の本数も、よく見ると、随分増えて賑やかです。

 残念なのは、車が来たら遊びを中断して旗をどかさなければならないこと。道路の占有届けを出していないから当り前のことなのかもしれませんが、単なる子供の遊びだとしたらこのくらいで良いのかもしれませんが、けど、できれば、年に一度のこんな祭りのときには、たまたま車で通りかかったらそこに停めて「頭たたき」が終わるまで見物するような、そんなのんびりした社会になったら幸せな世の中かもしれません。

 ◆◇◆

 そして、祭列はさらに街道の坂道を下り法現坂に差し掛かります。ここが越久保の下はずれ、風張(かざはり)との境です。「風の神送り」の終着点がここ。最後の「頭たたき」をして、送り神を捨てます。

 送り神を捨てるのは法現坂の脇の坂道を上がって行った土手の奥、畑や竹薮の奥に伸びる尾根の突端。
 「頭たたき」を終え、整列して「送り神の歌」を詠ってから、一列になってS字カーブの坂道を上がって行きます。太鼓に挿された五色の幣束が快晴の真っ青な空に映えて、祭列の後ろ姿がなんともいえず美しい。

 送り神を捨てる最後の経路、絶対に後ろを振り向いてはいけません。
 ところが、土手の坂道を登りきった墓地の前で祭列が止まってしまいました。誰かが後ろを振り向いたということです。一列に止まったまま、「うら向いたのは誰だ?」頭取が後ろから詰問しています。「正直に言え!」。
 重い旗を担いで詠いながら歩き続けたゴール直前です。もうへとへとになってしまった下級生は白状する元気がありません。道の奥を向いたまま、みんな困った顔で立っています。
 頭取も容赦しません。暫く待って誰も手を挙げないので、「もういい!やり直すぞ!」と、さっさと坂を戻ってしまいます。ここも振り向いてはいけません。足下の悪い道で旗を担いで、後ずさりを始めた下級生たちはたちまち立ち往生してしまいます。

 膠着状態。
 頭取たちは坂の下へ戻ったまま黙っています。下級生たちはひとことも発しないまま立ち尽くしています。厳しいです。

 暫くたって、「ここだけはうら向いて下りて来い」という伝令が伝わりました。ほっとした2本の旗がようやく動き始めます。法現坂に逆戻りです。

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 法現坂の広々とした草地の土手。
 ここがまた、なんとも見晴らしの良い陽当たり良好な別天地。
 大向こうに木曽の連山、木曽駒ヶ岳の白い切先、伊那谷の北のはずれから蛇行する天竜川が天竜峡の渓谷に流れ込む南の端まで、阿智、清内路、阿南、新野、神の宿る山々が折り重なって、その向こうに恵那山がでんっと鎮座しているのが一望できます。土手の頂上には「お辞儀松」と枝垂桜の古木がこの壮大な光景を愛でるように風雅に枝を振っています。
 きっと、越久保一の名所。自然の景観の力は偉大です。この土手にすわって遠くまで広がる伊那谷を、戦国の歴史を潜ませた「神の峯」を、手元に囲まれた天空の里・上久堅の風景を眺めていると、なんだか愛着が湧いて、ここのことをもっと知りたくなるのです。けして安穏とした歴史風土ではないここのことを。

 「風の神送り」終了予定時間を一時間近く越えていました。見守っていた大人たちも用事の入る時間で、三々五々祭列から離れて行きます。

 法現坂に戻ってまたひとしきり頭取の説教を受けた子供たちの祭列が、再び土手を上って来ました。最後の力を振り絞って、元気よく詠いながら、真剣な表情で後ろを振り向かないように、足早に墓地の前を通り過ぎます。
 墓地の前を、土手のさらに奥へ、北のはずれの雑木林の中へ分け入って行きます。送り神を捨てる場所です。
 乱雑に雑木が茂った林の中で祭列が2列に並びます。尾根の先端の狭い荒れ地。その先は竹や倒木で更に雑然とした急斜面の谷です。

 ここで念仏を7回繰り返します。
 「光明遍照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨、南無阿弥陀仏(ナンマイダー)、ナンマイダー」

 集めて来た幣束や、一生懸命担いで運んだ2本の旗を谷間に捨てます。

 そして最後に、頭取が1本選り分けておいた幣束で大旗の一番下の文字を突き刺して、神送りの行事の一部始終が終わりました。
 子供たちは送り神を捨てた谷間に背を向けて一目散に駆け出します。

 絶対に後ろを振り向かないように。

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 「今年はやばかったですよ」
 帰り途、厳しかった今年の頭取が安堵の表情でつぶやきました。
 「何が?」と訊くと、「後ろ見るやつがこんなにいる年はない」とのこと。そう考えることが当たり前、みたいな様子でさらりとそう答えるのです。
 務めが終わった開放感と全員でひとつのことを成し遂げた達成感をみんなで共有しながらの楽しい帰り途。楽しさの中にもそんな精神の高揚があるのですね。

 この行事でなされることは、単に「行事が終わればそれでOK」という段取りではないのです。この越久保という地区の、ここで暮らす子供たち、ここで暮らす人々の、毎日の暮らしの土台を創造するための鍛錬みたいなもの。ここの暮らしにしっかり根づいた誇り高い仕来りなのです。

 タガのはずれた利己経済のために不幸な過ちを繰返す現代社会。勝ち負けばかりを云々して、自分が良ければあとはどうなっても良い、誇りを失なってしまった日本の社会の劣化を止めるために、こういった古来の文化から得られるヒントはたくさんあるような気がします。

 予定を1時間半超過してようやく終わった「風の神送り」。
 すごい祭りでした。

 そしてすぐに、千代(ちよ)の芋平(いもだいら)から出発して半日かけて上久堅を縦断する「事の神送り」が始まります。これまたすごく楽しい祭りです。

 続きは(その3)で。

 ~つづく~
【Ngene掲載:2009年2月13日】

「事の神送り」を追いかける(その1)は、こちら
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宮内俊宏

Author:宮内俊宏
音楽・文化・アートを柱に、社会が、おもしろく、少し幸せになるような、いろいろなことを試みています。

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