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木曽福島・山の宿場街

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 「木曽路はすべて山の中である、あるところは岨つたいを行く崖の道であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。」

 島崎藤村の「夜明け前」冒頭の一節です。高校生の頃、大正期から昭和初期あたりの日本文学が持つ特有の仄暗いムードにかぶれていた僕は、この一節によって木曽谷に憧れ、小学生の頃に登った御岳山で感じた荘厳な大地のエネルギーの記憶も相まって、高揚した気分に駆られ、突如学校をサボって木曽谷踏破のひとり旅に出かけたことがありました。
 江戸幕府によって制定された中仙道と、江戸時代中期に始まった御岳信仰、深い山々から産出される木材由来の産業や木曽馬市場、中央本線の開通によって、昭和中期まで木曽谷はきわめて豊かに栄えていました。
 日本列島を縦断する山岳信仰の回廊。木曽谷は地球の大きなエネルギーを直に感じる魅力的なところです。

 木曽谷の中心地である木曽福島。重要な関所が置かれた中仙道の宿場町として、全国でも有数の霊場・御岳山の登山口として、古くからたくさんの人々が往来しました。その賑わいは近世まで続き、山林由来の従来の産業に加えて観光を基軸にした商業も隆盛を極めたのです。木曽福島の駅に降り立つと、まだその隆盛期の熱気が仄かに残っているようなかんじがします。

 木曽福島の街路は、元来、その特徴的な地形や歴史によってとても個性のある景観を有しています。それに加え、近年、この街は自分たちの個性を踏まえた街づくりを積極的に推進してきているのです。古くからそこにある土地の個性と、その個性をきちんと踏襲した新しい人々の工夫が重なると、街にはとても人間的で美しい風景が生まれます。

 そんな木曽福島の街の中を歩き回ってみました。

 まずは、なんといっても「崖家造り」。行人橋という、街の南のはずれにある橋から数百メートルに渡って、崖から張り出すようにして家が並んでいます。すごいですね。
 陣屋町として発展した谷底の街。幅40メートルという平地の少ない街道沿いの川端ぎりぎりまで屋敷割された結果、ここに住む人々は崖から川の上に床を張り出すように家を建てて行ったのです。狭い土地をできるだけ広々と使おうとした昔の木曽人たちの知恵です。この街特有の景観。
 いきなり路地そのものではない、その裏側の話題から始まりましたが、路地に繋がる景観ということでお許しを。

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 路地に戻ります。
 左側に並んでいる建物が表から見た崖家造りの家並です。こちら側の入口は建物の2階。崖家造りの家はここから階段で降りた、道の高さよりも下に1階部分があります。つまり地下1階のような関係ですが地下ではありません。本当に崖の断面に脹らむように建てられているのですね。

 この通りは木曽川沿いに南北へ走る旧国道19号線。本町という昭和初期の風情があちこちに残る商業地域です。もともと中仙道福島宿の中心だった街道筋ということで、かつては旅籠や本陣が建ち並んでいたはずですが、中仙道が国道19号線になり商業が発展していく途上で、昭和初期に古い建物が軒並み取り壊されて今の街並になったのだと思います。

 崖屋づくりの家並みが切れたあたりに、なんともホンワカした一角を発見。

 ここは「木曽川親水公園」というちょっとした一角。ここから河原へ降りられるようになっていて、のんびりと座る場所があって、足湯があります。こういうホッとする場所を作ってあるっていいですね。
 で、ここにある懐かしい形のポスト。昭和24年に登場した「郵便差出箱1号丸型ポスト」です。木曽福島の街にはあちこちにこの形のポストが残っていて、それぞれ愛称をつけて大切に使っています。ちなみに、このポストの名前は「巴ちゃん」。

 蛇行する木曽川に沿ってできた街道なので、街の中程で大きく右にカーブします。なんとも魅力的な裏路地が右から左から合流してきています。

 それぞれの路地には「伊勢町小路」「巾の上小路」「馬宿小路」「権現小路」など、物語を感じる名前がついています。これらの小路の多くが急な坂道に繋がり、丘の上にある街、幾筋もの小路が迷路のように入組み、江戸時代の宿場街の風景が現存している「上の段」という界隈に上がります。

 ここから木曽川上流の方が「上町」。「かんまち」と呼びます。福島関所はこの北はずれにあります。往時の姿を忠実に復元した関所資料館があります。けっこう広々とした敷地で楽しい場所です。
 関所の隣りには関所番を勤めた「高瀬家」があります。高瀬家は島崎藤村の自然主義文学の到達点ともいえる小説「家」の舞台となった旧家。この周辺は「藤村ゆかりの地」。上町交差点にある福島関所の駐車場から「初恋の小径(藤村の代表的な詩の題名が由来)」というつづら折りの坂道を上った高台にあります。木曽福島の街を見晴らす広い庭に母屋や土蔵がある大きな家。土蔵が資料館になっています。島崎藤村、高瀬家、山村家、この地の歴史や輩出した人物をきちんと敬愛する気持ちを宿した美しい場所です。

 ここですごい人物を発見。
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 世界的な昆虫学者の永井信二さん。上町の交差点にある「GOKIGENYA」というお好み焼き屋さんのご主人です。「世界のクワガタムシ大図鑑」など、甲虫類関連の図鑑の著作が何冊もあり、ツノゼミ、ビワハゴロモなど世界中で200種類以上の新種、新亜種の昆虫の記述を物している超著名人。皇室の人が昆虫周辺の生物を研究する時は永井さんに教えを請いに来る、というくらいのすごい人なのです。
 こんな人が街の交差点の近くでお好み焼き屋さんをやっているのです。店で時折催されるクワガタオフ会は、あちこちから人が集まって11時間におよぶマラソンオフ会になるようです。木曽福島、面白い街です。

 あ!忘れてはいけません。
 「七笑酒造」。
 本町の真ん中、支所前交差点のほど近くにあります。

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◆◇◆

福島宿・上の段

 坂道を上って、鉤の手に曲がった街路を抜けると、突然タイムスリップしたような街に出くわします。
 「上の段」。
 往時の福島宿の街はずれにあたる界隈で、木曽川沿いの急峻な河岸段丘の上にあります。福島宿の当時の姿が残っている唯一の街路です。普通の速さで歩いたら1、2分で抜けてしまうほんのちょっとの一区間ですが、建物の残し方、道やいろいろな街路装置の配置がうまくできていて、この街の美的センス、感性の生きた、とても印象深い街並になっています。

 あ、ここにも郵便差出箱1号丸型ポストがありますね。
 このポストの名前は「せいめいくん」です。

「松島亭」

 この通りの中心はなんといってもこの「竃炙ビストロ・松島亭」だと思います。旧家・松島家の邸宅をリノベートして3年前にオープンしたお店です。この通りには江戸時代の大きな建物を再利用した数軒のお店や民宿が並びます。この「松島亭」を真ん中に、「BAR松島」「和庵・肥田亭」「民宿・くるみ家」など、間に歴史的な街路装置を配置しながら、背後の山々を借景に、この場所にしっくりと上品に溶け込んでいます。

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 ここは、木曾義仲から数えて19代目にあたる木曾氏最後の殿様・木曾義昌の居城「上之段城」が置かれた場所でもあります。関所の宿場街であると同時に上之段城の郭内としても多くの道が整備され、とても入組んだ構造になっています。街のあちこちに水が湧いていて、辻々に井戸が設えてあります。

 この街は水の流れを大切にしています。江戸時代に木曽川から引かれた「上の段用水」。街のあちこちにいろいろな水場が設けられています。

 ビストロ・松島亭の脇の路地「寺門前小路」に流れる水路もそのひとつですが、この小路を整備する際に、それまで水路を塞いでいた蓋ををはがして街の中で水の流れが感じられるように作り替えたものです。水路の途中にわざわざ小さな水車が仕掛けてあったりします。水路が表通りにぶつかる場所には、水を汲み上げて溜まりに落とす木箱が置いてあります。滔々と豊かに流れる水の音と景観。生活に根ざした自然な風情で作られています。
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 この寺門前小路は、数ある福島宿の小路の中でもひときわ大切にされているかんじがします。
 小路の奥にある大通寺。門構えの立派な、なかなか裕福なお寺のようですが、この境内には武田信玄の娘・真理姫が供養されてるのです。

 戦国時代のことです。上之段城主・木曾義昌は武田信玄の度重なる侵攻を受けて抗しきれず降伏。木曾氏は源氏の嫡流の名族であるため信玄は和睦を計り、義昌に自分の娘の真理姫を嫁がせ、替わりに義昌の妹・岩姫や主だった家臣を人質として甲斐へ赴かせ抑止力としました。政略結婚ですね。
 木曾義昌はやがて徳川家康の関東移封の際に下総国(千葉県)へ移され、精神的にも経済的にも逼迫して彼の地で没します。木曾氏はそのまま途絶えてしまうのですが、その後、真理姫は木曽へ帰り、義昌の家臣であった村上氏を頼ってこの地で一生を終えました。
 その後、同じく義昌の家臣であり木曾氏断絶後に木曽の代官となった山村氏が、上之段城跡に大通寺を建立し、真理姫の霊を弔ったのです。
 なんか、少しかなしい話です。年表には載っていない大きな歴史の物語がこの路地にはあるのですね。

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 路傍の「100円市」です。たぶん、近所の方たちが代わるがわる持ち寄って、ここで採れた農作物を売る場所なのです。店舗や人が集まる場所だけではなく、普通の家の庭先にも行灯が置いてあって、木桶に何気なくススキが生けてあったりします。いいですね。

◆◇◆

 木曽福島には、自然な日常生活の中にきちんと機能する街ができつつあります。
 歴史、文化、様々に変化してきた社会、自然、産業、人物、出来事、そして地理的な要因を丁寧におさえたコンセプトを建て、住む人や訪れる人の感性に響く街の装置を配置し、人に対する敬愛の念を表明し、規模は小さいけれど自分たちの個性を大切にした魅力的な街づくりが進んでいるようです。

 作り方も適切です。
 経済や行政、政策との関係をきちんと認識した方法で街づくりを推進しているのです。街のあらゆる素因を冷静に解析し、愛情を持ち、街づくりの肝要なところをよく知っている人たちが街を創っているかんじがします。

 そんな人たちが創る街の路地はとても居心地の良い場所になります。変な、面白い物がごろっと置いてあったり、立札や道標や、路傍のちょっとしたところに知的な好奇心をくすぐられたり、「なるほど」と頷いてしまったりする、歩いていると自分の中でいろいろなことが起きる場所なのです。とても魅力的です。

 山岳地域の奥深く、現代の消費文明や利便性からは遠く隔てられた、人口流出や地域存続の問題と常に直面している木曽谷で、お金ではなく人間の感性が基になった魅力的な街ができあがりつつあります。
 このまま、このまま、もっと面白い街になって行って欲しいものです。

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【Ngene掲載:2008年10月7日】【路地月間!④】
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宮内俊宏

Author:宮内俊宏
音楽・文化・アートを柱に、社会が、おもしろく、少し幸せになるような、いろいろなことを試みています。

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