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和田・御射山祭・山の宿場街に夏祭のにぎわい(2)

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 御射山祭は諏訪大社の大きなお祭りで、やはり8月の終わりのこの時期に行なわれます。中世、戦国時代は八ヶ岳山麓、霧ヶ峰から原村、富士見町一帯で毎年行なわれていた大行事らしく、このあたりにはこの祭に関係する神社や地名が多く残っています。
 平安時代の文献に最初にその記述が表れるこの夏の祭礼は、3日間、いくつかの社殿を移動しながら行なわれる大がかりな狩猟神事が起源。室町時代から鎌倉時代にかけては特に、全国から人が集まるビッグイベントで、幕府の下命によって信濃国の豪族が毎年持回りで運営していたそうです。大変でしたね。

 山の中にある神社では、巻狩、草鹿射、相撲などの狩猟や武芸を奉納し、里にある神社ではお練り行列を繰り広げます。参列者はススキの穂で葺いた仮屋・穂屋で寝食しながらすごしたようです。なんだか、夏の野外フェスみたいです。
 鎌倉時代の全盛期は将軍をはじめ幕府の要人、北条家、武将が全国から集まってその穂屋に宿を取り、民衆も大勢集まり、身分を問わず楽しんだということなのです。なにやら、信州の信仰や祭礼にはこんなタイプの、フラワー・ムーブメント的なレイヴ・パーティーのような風習が多いですね。
 霧ヶ峰にある旧御射山神社脇の斜面には、この穂屋を設営した土壇が残っています。きれいに造成された土壇がいくつも、おそらく20区画近い土壇が今でも斜面に確認できます。

 この界隈からまっすぐ南下して伊那山脈を分け入り、中央構造線に沿っていくつかの峠を越えて来ると、その南端がここ、遠山郷、和田になるのです。「御射山祭」の名前がこの南端の宿場街に残っているのも、この伊那山脈を巡る神聖な物語の痕跡かもしれません。

 前日から祭の準備に取りかかった和田の人たちは、遅い午後、ひととおりの準備を終えてそれぞれの会所で酒食します。楽しそうです。街道に三々五々、人々が顔を出し、集まり、和田宿はだんだん賑やかになって行きます。
 どの家にも軒先には古風な提灯が下がります。これがまた良いのです。なんでしょう、デザインがちゃんと風土や文化を踏襲しているから、この風景の中で自然に映えるのかもしれません。

 ◆◇◆

 遅い午後、どこかで神輿の動き始めた気配がします。遠くでわずかに声が聞こえたり、会所にいた人たちがいつのまにか姿を消していたり、ほっこりと谷間の街道筋に流れている空気の中にじんわりと始まった気配が伝わってくるのです。
 浴衣や甚平を着た子供たち、縁台の老人、久しぶりに帰省した家族、若者たち、おじいちゃんもおばあちゃんもみんな街道に出始めます。とある軒先で、おそらく数十年ぶりに再会したおじいちゃんたちが自分の卒業した年を伝えて同窓生であることを確かめ合っています。

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 和田宿のまんなか、何軒かのテキ屋の屋台が並んだ路上で南を向くと、万国旗の巡らされた街道の先に迫るような稜線が見えます。この稜線の落ちたあたり、和田の集落を南に出はずれたところに諏訪神社の森があります。どうやら御射山祭のお練り行列はこの諏訪神社から始まるようです。

 酒食を終えて会所を出た各町内会の神輿も、保育園や小学校の子供神輿も、商工会や企業、青年会も、すべての神輿やお練り行列が夕刻までに諏訪神社に集まりました。これは祭の作法としてとても楽しいやり方だと思うのですが、意外なことに、800年におよぶ長い歴史の中で今年が初めてのことらしいです。

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 この諏訪神社はもちろん、12月には霜月まつりが行なわれる神社です。社殿の土間のまんなかには湯立てのための竃が掘られています。立派な社殿です。和田の建築物は北隣りの木沢と比べて大きく立派なものが多いように思います。

 提灯や行灯に火が灯り始めた夕方6時すぎ、神社の裏手で合図の花火が威勢よく打上げられました。子供神輿から順番に諏訪神社を出発します。およそ20基の神輿が秋葉街道を北上して和田宿に入り、賑やかに人を集めながら、辻々で休憩してもてなしを受けながら、宿場街の中を練り歩いて行きます。

 しんがりを「観音霊水」の大きな行灯が務めます。軽トラックになかなか風情のある色合いの歌舞伎絵行灯を乗せて、接触不良でときおり音の途切れるラジカセから祭り囃子を流しながらお練り行列の後を追います。昔はちゃんと笛や太鼓の人が随行したのでしょうか。

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 今年の御射山祭はお練りの行列が宿場街に到着した頃から雨が降り始めてしまいました。
 行列は雨のぱらつく街道筋を練り歩きます。あちこちで元気よくきおいを練りながら、宵闇の深まる和田宿を北へ向かいます。

 終着点は和田の北のはずれにある遠山中学校。街道を練り歩いて抜けて来た行列も、行列と一緒に少しずつ歩いて来た観衆も、だんだん校庭に集まって来ます。遠山の谷はすっかり暗くなって雨足が強まっています。全部の行列が校庭に到着した午後7時すぎ、雨を衝いて3基の大三国が火を噴きます。おそらくこの夜いちばん雨足の強まった時間帯でした。お練りの終わりと大花火大会の始まりを告げる仕掛花火が天に向かって噴き上げます。

 7時半、花火が谷間に轟き始めました。お練り行列を終えた人々が遠山中学校を出て和田宿の中心へと街道を戻ります。みんなずぶぬれです。

 花火は遠山川の河原、和田地区のまんなかあたりの河原で打ち上げられています。
 複雑な山襞から跳ね返ってくる音は低音から高音までまんべんなく、腹にドスンと来る太い残響が谷間の空気をうねらせます。
 雨は少し弱まっています。次から次へ尺玉があがり、スターマインが轟音を轟かせ、そのたびに谷間を駆け巡る野太い残響が体を振るわせるのです。この感覚、なかなかたまりません。

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 夜はさんざん花火を打ち上げて、翌日2日目の昼、宿場街の中央にある広場の新しい舞台でいろいろなアトラクションを披露して御射山祭は終わります。

 ふだんは静かな、山から降りて来る空気の音に耳を澄ます和田の集落。にわかに人のエネルギーが集まって高まって弾ける夏祭りは、一年の暮らしの中にちょっとした脹らみを拵えて、この山村の人々の営みに個性と表情を与えているように思います。

 同じ遠山郷でもこの和田地区の雰囲気は陽性を感じます。祭の在り方や、観音霊水や復元和田城の作り方や使い方、地域のいろいろな資源に対する取組み方が、少しずつ元気で明朗なのです。これは、かつて遠山郷の中心地となる宿場町だったことから生まれた気質なのでしょうか。
 たとえば、お隣の木沢地区はもっと控え目で、いろいろな出来事にストイックに取組みます。旧木沢小学校の残し方や、村の魅力として取り上げるものの種類や、霜月まつりの処し方、ひとつひとつがそれぞれの本質に近づくことを目指していて、地味だろうがわかりにくかろうがそのやり方の中で現代の新しい方法を探っています。

 同じ霜月まつりを守り続けているふたつの地区で、距離にしておそらく2kmと離れていないこのふたつの地区ではっきりと気質が違うのです。さらに上村に行ったらまた違う気質があるに違いありません。
 それぞればらばらな個性を持った地区が、神の宿る大自然を由来とするひとつの文化をそれぞれの方法で育てて行く。それぞれの方法を否定し合うことなく自分たちの方法を誇りながら、重層的な価値観や判断基準を持ってそれぞれの方法で高めて行く。そこに通底している理念は一緒。

 そんな高い次元での交流やアイディアの環流が日常的に起きて行ったら個性的で豊かな地域が実現することは間違いありません。古来から他所の文化の往来を歓迎し、外の文化を融合させながら誇りを持って自分たちの流儀を続けて来たこの遠山郷の高い寛容性は、今までの枠組みを破棄して豊かな社会を作ろうとするときに必ず役に立つのです。

 遠山郷の夏祭りをぶらぶらしながら、そんな精神的、文化的な豊かさが、ゆくゆくは現代社会を支配している消費経済的、物質的な豊かさに取って代わるといいな、と思ったりもしたのでした。

【Ngene掲載:2008年8月29日】
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宮内俊宏

Author:宮内俊宏
音楽・文化・アートを柱に、社会が、おもしろく、少し幸せになるような、いろいろなことを試みています。

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