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和田・御射山祭・山の宿場街に夏祭のにぎわい(1)

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 信州の南端にある遠山郷のさらに南部、まっすぐ南下すると10数キロで兵越峠(ひょうごえとうげ)を越えて静岡県水窪(みさくぼ)に達する山間部に和田はあります。古くは秋葉街道の宿場町。和田宿はさしずめ信濃国の南の玄関口ということだったのでしょう。

 遠山の谷は大鹿村に繋がる日本最大の断層・中央構造線に沿って遠山川の浸食が生み出した深い深い谷間です。大鹿村から入る地蔵峠を北端に、上村、木沢、和田、3つの集落に分かれ、南端が兵越峠、青崩峠(あおくずれとうげ)。古く平安時代から同じ形で続いている湯立神楽・霜月まつりが全域で行なわれる神々の谷間でもあります。上村も木沢も、そしてこの和田でも、道ばたにある一抱えほどの石に注連縄が張られ紙四手が下げられていたり、風雨に削られた小さな道祖神の傍らに供物や花が絶えなかったり、いまだに八百万の神々を敬愛しながら生きている谷間なんだと思います。

 ただ漠然と、あるいは手当り次第に路傍の石に縄を張っているわけではありません。その石に縄を張る理由がちゃんとあるのです。その理由は、何度かその道を往来するうちになんとなく感じられるようになってきます。
 街道はもともと地脈に沿って人々が往来しているうちに自然と出来上がったものだと思います。地球には地脈があり、地脈は地形を象り、土壌や植生に影響し、生物を動かし、風景や大地の流れを作ります。人は古来、その地脈を感性によって検知することができました。その感性に従って自然に創り出したのがかつての街並だったりするのだと思います。

 「地脈」という観点で街並を眺めて行くと、それに沿って作られた街とそうでない街の違いを感じることがあります。たとえば東京はなぜ醜いのか、同じ人の手によって構築されたのにヨーロッパの街並はなぜ美しいのか。今までは「美的センス」の違いということで捉えていましたが、それ以前に感性、地球の発するものを感じ取る感性があるかないか、ということが問題なのではないかと思えて来ます。

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 たぶん、路傍の石に毎日花が手向けられるこの谷間は、人間が本来持っている感性をごく自然に備えた人々が地球を感じながら暮らしているのだと思います。

 複雑に折り重なった山襞はおいしい水を作ります。伊那山脈から伏流して遠山の谷間に湧き出して来る水は冷たくてきれいでミネラルたっぷりです。この谷間では街道筋のあちこちに水場があって豊富に水が湧いています。農業用水は遠山川から引かれ宿場街の中を豊かな水路が巡ります。この水路は今でも昔からの方法で「井水世話人」という一年毎の持回りで村人によって管理されています。

 和田宿の中ほど、東側の急斜面を登ったところに山寺があります。和田宿の裏山のような存在である盛平山の屏風みたいに競り上がった突端の高台にある寺、龍淵寺です。山門へ登る不揃いな石段はとんでもなく急です。バランスを崩さないように気をつけていないと下まで一気に転げ落ちてしまいそうです。
 このお寺、南はずれにある諏訪神社とともにたぶん和田宿の信仰の柱なのです。お寺の息子さん、副住職の盛(もり)宣隆さんがとても元気で、たぶん村の行事の中心人物。境内は古いながらもしっかり手入れされた、たぶん結構裕福なかんじのお寺なのです。檀家さんにしっかり支えられているのでしょうね。

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 この龍淵寺の境内から湧き出る水が「まつもと城下町湧水群」などとともに「平成の名水百選」に選ばれました。「観音霊水」という名前です。盛平山の地下に蓄えられた水量の豊富さを思わせる勢いで滔々と湧き出しています。

 「観音霊水」の湧出している地点、龍淵寺の境内に隣接した敷地はかつて和田城があった場所です。和田宿を一望できる見晴らしの良い高台。戦国時代にこの地を治めた豪族・遠山氏の居城があったのです。大阪冬の陣、夏の陣の頃、遠山郷のほか、大河原と鹿塩(つまり大鹿)、福与、部奈から上伊那の赤穂までを領地にするほど隆盛を誇ったという遠山氏は、戦国時代の終焉とともに離散滅亡。この地は幕府の直轄領となり和田城は廃止されました。

 お城はやがて潰れてなくなり、17世紀中頃、この高台は朱印地として幕府から龍淵寺へ下付され田圃になりました。
 「観音霊水」はもともとこの田圃に引かれた農業用水だったそうです。ミネラル分たっぷりの硬水、味のはっきりしたおいしい水です。こんなおいしい水を田圃に引いていたとは、きっとものすごく美味しいお米が採れていたに違いありません。

 十数年前、その田圃に和田城が復元されて郷土資料館になったとき、副住職の盛さんはここに水くみ場を作りました。おいしい水をみんなに飲んでもらおう、ということです。さらに数年前、水質調査によって「カルシウム、マグネシウムが豊富な日本では珍しい硬水」という分析結果が出たことで認知が深まり大人気に。今では毎日あちこちからいろいろな人が水を汲みに来ます。

 盛さんをはじめ和田の人々は、この谷間に流れてきた歴史も含めてこの水を大切にしています。遠山氏の居城として和田城がここにあった頃から永々と湧出し続けている、ずっと村人によって守られて来た水です。平成の名水百選に選ばれたことが一過性のイベントで潰えないようにこの水をこの土地の魅力として維持して行くのです。水源である盛平山の環境保全や植林も推進しています。
 「井水世話人」という独自の方法を誇りを持って続けている和田の人々です。大丈夫、たぶん。

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 8月最後の週末。和田宿がにわかに活気づきます。
 御射山祭です。

 諏訪大社に起源を持つこの祭は信州各地に散らばる諏訪神社で等しく行なわれている夏祭のひとつなのですが、祭礼そのものに「御射山祭」という名称が残っていることがなんだか面白そうなのです。
 古来、神事・御射山祭は諏訪大社上社の境外摂社である原村の御射山神社で行なわれていました。諏訪信仰を広める要素のひとつでもあって、各地に御社山、御斎山、三才山などの地名が残っています。
 原村なのです。つまり、遠山から地蔵峠を越えて大鹿へ、分杭峠を越えて高遠へ、さらに杖突峠を越えて甲州街道へ抜けたところにあるのが原村の御射山神社なのです。そのままだったら単なる諏訪神社の夏祭であるこの祭に、何か個性的な魅力を備えさせる要素のひとつがこの「御射山」という名前です。

 ここには物語がありそうです。

 ~つづく~

【Ngene掲載:2008年8月27日】
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宮内俊宏

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音楽・文化・アートを柱に、社会が、おもしろく、少し幸せになるような、いろいろなことを試みています。

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