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清内路・大まきに宿る(2)

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 秋の清内路、巨木・大まきの下です。
 ここは小黒川(こくろかわ)という沢づたいに切れ込んだ谷の奥。ここから先は林道、といういちばん奥です。

 清内路には川に沿った3本の深い谷筋があります。北から南へ流れ下ってやがてふもとの阿知川にそそぐ黒川を幹に、清内路川と小黒川が樹状に分かれて北の山間へ谷を刻んでいるのです。
 清内路川は下清内路地区の上端で黒川と分岐し、北西方向へ上清内路地区を抜けて木曽谷との境である清内路峠へと登り詰めます。分岐点から北東方向へカーブした黒川はほどなく小黒川と分岐し、小黒川はそこから北西方向へ伸びて行きます。黒川はそのまま集落を抜けて北東方向の山の奥深くまで分け入り、秘境・赤子が淵に達します。

 赤子が淵の先にかつては大平街道を経て飯田の街へ抜ける道がありました。南麓の阿智村から登って来ている現在の国道256号線が開通したのは1950年代。それまでは切り立った谷の縁を歩いて赤子が淵を抜け、険しい山道を黒川に沿って大平へ抜けるのが伊那谷へ至るルートだったのです。かなり険しい山中の道です。ですが、それ以上に、下清内路地区から下流の阿智村に至る黒川流域は、当時の技術では道を通すこともできない急峻な渓谷だったのです。

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 清内路はそのすべてが山の中です。源流に近い清冽な渓流と山襞のあちこちから湧き出す豊かな清水、険しく迫る山と少ない平地に拓かれた畑や家々の佇まいがここの景観的な個性です。そして、この険しい地形の中に、清内路の物語や魅力が、清内路という美しい名前を持った村の存在理由がひそんでいるのです。

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 ◆◇◆

 11月9日の日曜日、清内路小学校の体育館で「きかまい会」というグループが主催したタテタカコのライブが行なわれました。
 「きかまい会」というのは今年で4年目。自分たちでいろいろな音楽会を企画、運営実施する会です。内容、出演者のブッキング、出演交渉から広報、チケットの販売、準備から当日の運営まで、完全に清内路の人たちだけで進められます。

 きかまい会のみなさんによる手づくりの会場です。

 襖や障子は、再利用を進めている出づくり家屋の建具を持って来て細工したものです。
 きかまい会には桜井三也さんという宮大工さんが参加しています。この方、信濃比叡や今宮神社など、南信地方にある多くの寺社を手掛けた著名な宮大工さんなのです。三也さんの美しい技は、あちこちの神社やお寺の木工細工、彫刻、門やお堂などの建築物に見ることができます。この舞台セットもちょっとしたところに宮大工の知恵が仕込まれています。

 そして、舞台蹴込みの花飾りはかつて養蚕で使われた道具、桑を敷いてお蚕様を飼う「かごろじ」に清内路のデイサービスセンター「ひだまり」のみなさんが色紙で飾りを折って付けたものです。楓の枝とすすきの穂、御神燈の中には小さな明かりが灯っています。とても温かい舞台セットですね。

 この会場に、この日曜日は270人が集まりました。そのうち、およそ3分の2が清内路の外から、長野県外からも大勢の人がやって来ました。
 きかまい会とは、こんなに大勢の人を清内路に呼び込むことのできる、とても魅力的なイベントを作るグループなのです。

 清内路には今、いろいろな会ができています。

 この日のライブにも参加した「コカリナをふきまい会」。
 2004年の台風で大まきの枝が折れてしまったとき、「きかまい会」の中心にもなっている原京子さんたち数名の有志が「共に生き続けるものにして残したい」と考えたコカリナ。ハンガリーからコカリナを持ち帰り改良を加えて現在の形にした上田市のフォークシンガー・黒坂黒太郎さんにお願いして、折れてしまった大まきの枝をコカリナにしたのです。
 これがそもそも「きかまい会」のはじまり。最初は「コカリナをきかまい会」だったのです。「きかまい」はやがて「ふきまい」に変わり「コカリナをふきまい会」スタート。以来、クルミ、栗、桜、ネム、など清内路で間伐される木を使っていろいろなコカリナが製作されています。そして「コカリナをふきまい会」は、大まきの下で毎年演奏会を行なったり、被爆した柳の枝で製作したコカリナを持って原爆ドームへ行ったり、北京オリンピックのプレイベントで中国に渡ったり、とても面白い活動に繋がって来ています。

 このあたりのグループ活動のはじまりは、京子さんや、上清内路のお豆腐屋さん「長田屋」の奥さん・小池かおりさんらが中心になっている、子育て中のお母さんの集まり「サークルぽっかぽか」にあるようです。
 元気で個性的な女性が活躍している地域というのはいろいろ面白いことが起きるものです。女性の方が人間の感性に正直だからですね、きっと。この部分、男系社会は皆目ダメです。使い物にならないビルばっか作っちゃいます。

 「サークルぽっかぽか」は、そのほかにも「NICE」というボランティア組織と組んで「週末清内人」というプログラムを推進しています。
 NICEは国際的なボランティア組織で、対象地域に合宿しながらボランティア活動を行なうワークキャンプという方法を主体にしています。
 週末、現在は廃屋となっている出づくりの家屋に泊まり込んでいろいろな清内路体験をするのが週末清内人。炭焼きをして焼きたての炭で焼肉パーティーをしたり、ハチノコ、五平餅、山菜、沢ガニ、椎茸、いろいろな食文化に触れたり、山歩きをしたり、クワガタを捕まえたり、ときには出づくり集落の背景にある扇状の斜面(かつては畑だった)で夜通し踊り明かすDJイベントなんかも開催されます。そんなときには清内路のおじいちゃんやおばあちゃんも夜っぴて踊り明かすのだそうです。楽しそうなことしてますね。
 清内路の歴史を知り、個性を知り、その魅力を人に伝えることのできるアクティヴな能力を持った女性たちがこの谷の起爆剤になるかもしれません。

 今年のきかまい会は31人の清内路の人たちで組織されていました。清内路のいろいろな職業の人が、いろいろな年齢の人が、実行委員長の原利正さんのもと、春からいろいろな話し合いをして、ちょっとずつ準備して、丹誠を込めて自分たちの手で作り上げて来たのです。いろいろなタイプの人が混ざって集まってひとつの目的に向かう、この方法が社会を前進させます。

 最長老は桜井一芳さん、78歳。今回は一芳さんのお宅へ民泊して、若かりし頃の清内路のお話を聞くことができました。とても興味深いお話でした。

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 一芳さんのお宅はこの坂の途中にあります。下清内路地区の鎮守の丘・観音山をぐるりとまわって梨子野峠へと向かう村の出口、かつては関所のあった坂道です。
 清内路は平地が少なく、多くの家が石垣の組まれた敷地にあります。観音山で落ちた木の実がころころと道を転がって下の集落まで下りて来るくらいの傾斜地です。路傍には山の奥から引かれた水路が滔々と水音を響かせています。

 この急峻な渓谷で、かつて清内路の人々は独自の方法で豊かに暮らしていました。炭焼きや木工品など森林資源の利用、養蚕、煙草の栽培がここの基幹産業でした。殊に江戸時代、清内路の煙草は「おいらん煙草」と呼ばれる高級品と目され、江戸や京の都に売られて清内路を支えていたのです。

 一芳さんの少年時代はアジア太平洋戦争前夜。豊かだった清内路の暮らしが陰り始めた時代です。戦争というのは凶悪な搾取の仕組みです。山奥の小さな村が自立していたバランスを完全に崩壊させてしまいます。

 平地が少ない清内路は稲作を行なう田んぼが少なく、戦中戦後の食糧難のときは困窮を極めました。食べることがやっとだった日本で贅沢品だった煙草はおそらく需要が減り、主食の米を作る水田が少ない清内路は一転してとても貧しい村になっていったのだと思います。
 一芳さんも、子供の頃は芋を煮た鍋の中に時折お米が混じっているくらいの、とても厳しい食生活を送ったようです。

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 現在、清内路で唯一残っている水田。下清内路、黒川上流の比較的傾斜が緩やかな場所にあります。このあたりが清内路で一番最初に人が定住し始めた地区のようです。

 平地が少ない、ということはつまり、居住するための土地も限られています。明治時代に500人ほどだった清内路の人口は、農業や林業で潤ううちに、最盛期には2,000人程度まで増加していました。その結果、わずかな平坦地に集落が密集して、そこからはみ出してしまう人は清内路から出て行かざるをえませんでした。渓谷はきわめて険隘で宅地を増やすことには限界があったのです。どの家も家を継ぐ長男以外は村を出て行きました。

 長男ではない一芳さんもしかり、桶を作る職人になるようにという母親の世話で、若い頃は木曽の上松へ丁稚奉公に出ていました。
 昭和25年、勤めていた桶屋さんが火災で全焼し、職を失なった一芳さんは清内路へ舞い戻ります。終戦直後の混乱の中で職もなくブラブラしていたところ、たまたま郵便局員の職が空いてスッポリとそこに収まることができたのだそうです。「幸運だった」と一芳さんは笑いながら話してくれました。

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 一芳さんの興味深い話はまだまだいっぱい続きますが、このまま行くととんでもなく膨大な文字数になってしまうので、断念。
 今、一芳さんは清内路の個性を表現するためにいろいろなことをトライしています。「やっぱり特産物を活かすことが大事じゃねぇか」と思い立ち、得意な漬物づくりの腕を発揮して、清内路にしかない赤根大根を使った「あかねの塩漬」や「キノコ漬」を作っています。長野県の料理コンクールで県知事賞を受賞した逸品です。 
 ちなみに、娘さんの桜井紀子さんも、清内路特有の黄色の鮮やかなかぼちゃを使った「清内路かぼちゃのおまんじゅう」が調理師会長を受賞。
 また、廃れてしまった炭焼きを復活させようと、若い頃の記憶を頼りに少しずつ炭を焼き、それを若い人に伝えようとしています。「きかまい会」や「ふきまい会」にも積極的に参加したり、「週末清内人」の時は、一芳さん宅に民泊した若い人たちの間で若い頃の話が大好評だったり、もちろん、DJイベントのときは朝まで踊ります。
 とても元気です。
 そして、まだ清内路の中の若い世代とお年寄り世代が充分に混じりあえていないことを課題に挙げています。清内路を前進させて行くためにはこのことを解決しなければいけないのです。

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 清内路の郷土食「箱寿司」。おいしいです。寿司といえば朴葉寿司というのもあるみたいです。今度食べてみたい。
 「山河料理・掘割」のシシ鍋。今は豚と掛け合わせたイノシシを飼育しているそうです。味噌味で、シシ肉の旨味が濃くて美味。暖まります。
 軒先に「清内路あかね」。ごろっと無造作に置いてあるのがいいかんじ。まるまると太った新鮮そうな白菜もごろりと置いてあります。右端にあるのは清内路の冬の風物詩「観音山の直滑降(いま命名)」に使うそりのようです。この形が観音山のコースに合ってるのか?どの家の庭にも同じような形のそりが置いてあったり、転がっていたり……。

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 清内路の人たちはとても個性的でした。老若男女、いろいろな仕事をしている人たちがみんな、元気で個性的です。そして、自分たちの手でいろいろなことを始めています。

 清内路といえば300年前から絶えることなく続けられている「手づくり煙花」。手づくり煙花というのはつまり、村人が自分たちで煙花を作るのです。毎年秋、10月上旬に上清内路と下清内路、それぞれの諏訪神社で行なわれる村人による奉納煙花。これは全国で唯一、清内路だけにある祭の流儀です。

 何度か勃発した世界戦争と金融資本主義による近代化の中で清内路は基幹産業に痛手を被り、自分たちの流儀の多くを手放して来ました。産業とともに人口は流出し、現在の人口は700人あまり。来年の春、ここは清内路村ではなくなります。ふもとの阿智村に編入合併されることになっています。

 けれど、人口は多ければ良いのか。その地域が豊かに暮らして行くための適切な人口があって、それはその地域の産業や、目指す方向によっていろいろなのではないかと思ったりします。
 それよりも、そこに住む人々の存在が際立っているかどうか、ということの方が重要かもしれません。人数は少なくても個性的なエネルギーを持った人たちがいること。そういう点で清内路の元気はとても明るい材料なのではないかと思います。

 今回の「きかまい会」ライブを中心になって運営した原佳世さんは23歳、清内路村青年会の副会長さんです。2年ほど名古屋で仕事をした後に清内路へ帰って来ました。清内路のいろいろな問題をリアルに受け取り、伝統や文化が市場経済あるいは金融資本主義とぶつかったときに生まれる軋轢を認識し、いろいろな世代や立場を超えて人々が話し合う必要性を感じています。そうすることが清内路を良い方向へ引っ張って行けることを確信していて、なかなかそうなっていかない現状にぶち当たりながら、少しずつ、前進を始めています。佳世さん、一見、社会情勢について考察するようなタイプではなさそうなのですが、話をしていると、地域の状況についてとても正確に認識しているのを感じました。

 「行政区域としての村はなくなっても、人の気持ちに変わりはない。清内路は清内路」。佳世さんの現在の認識ですが、それはたぶん、清内路でいろいろな活動を始めた人々に共通した想いなのです。

 大切なのは人です。
 清内路は大丈夫。

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【Ngene掲載:2008年11月18日】

清内路・大まきに宿る(1)
清内路村ホームページ

※大まき
村の最深部、小黒川沿いに谷筋を分け入った一番奥に、清内路の人々が「おおまき」と呼ぶ大木が立っています。樹齢300年以上、樹高18メートル、幹の太さは7メートルあまりもある大木。国の天然記念物に指定されています。幹の太さはこの種では最大とのこと。

※出づくり
普段人々が居住している低地は急峻な斜面ばかりで農耕に適した土地がありません。むしろ山頂近くや谷筋の奥の方が平地が多いため、養蚕や煙草の栽培、畑をつくる春から秋までの農繁期は山腹にある別の家に移り住んで、そこで生活しながら畑仕事をするのです。子供たちもそこから山を下って学校へ通います。
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宮内俊宏

Author:宮内俊宏
音楽・文化・アートを柱に、社会が、おもしろく、少し幸せになるような、いろいろなことを試みています。

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