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大鹿歌舞伎・薫風新緑の野外劇

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 青空の下、新緑の天蓋に覆われた神社の境内で、ほのあまい薫風に吹かれながら、大鹿歌舞伎は上演されます。「鑑賞」というような類いの集まりではありません。お弁当を持って、野山を散策するような気分で集まって、みんな、思い思いの場所でのんびりと、思い思いの楽しみ方で、堪能するのです。あ、もちろん、前の方で観たい人は、朝7時半の開場と同時に、座布団を敷いて席取りをします。そんな座布団で広場はすぐいっぱいになってしまうのですが、ともかく、大鹿歌舞伎の定期公演は、のんびりゆったり過ごすものなのです。
 役者が見得を切ったり、物語が盛り上がったりする度に、やんやの歓声や、おひねりが飛び交います。お弁当を広げるも自由、お酒を飲むも自由、真剣に観ている子供たちもいれば、物語に関係なくニコニコ楽しそうなおじさんたちもいるし、けれど、はじまりからおわりまで、公演は粛々と、ゆったりと、何にも乱されることなく進みます。ものすごく楽しい開放的な空気の中で、充実した一日が過ぎて行きます。

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 なぜ大鹿歌舞伎はこんなに楽しいのか、5月3日の春の定期公演の様子を辿ってみます。

 5月3日、曇りときどき晴れ。汗ばむ陽気の中、今年も大勢の人々が集まりました。毎回1500人くらいの観衆が集まる大鹿歌舞伎の定期公演。前の日から泊まりがけで大鹿へ入る人も大勢います。泊まりがけで来る人は、みんな、朝7時半に座布団を持って神社へ集まり、客席にシートが敷きつめられるのを待って、すかさず席取りをします。けれど、別に、浅ましく舞台前に殺到するかんじでもありません。最前列で観ても、最後列で観ても、どこで観ても楽しいので、思い思いの場所に座布団を置きます。
 別に前の方でなくても、平土間でなくてもいい人たちは、当日の朝から三々五々、高遠方面から、松川方面から、自家用車やバスで集まって来ます。大鹿村へ入るルートは主に2本。あまり殺到すると大渋滞が起きそうなのですが、そんな様子はまったくなく、みんなスムーズに村へ入り、大磧神社の坂の下、小渋川沿いの河川敷に用意された駐車スペースに、青いハッピを着た誘導係の人に従って、ゆったりと車を停めます。

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 春の定期公演が行なわれるのは、大河原地区にある大磧神社。
 南アルプスの山岳地帯を南北に走る、中央構造線という地層帯の西端に沿った谷間に、大鹿村はあります。北部が鹿塩地区、南部が大河原地区。大河原地区は、赤石岳の麓に源流を発する小渋川沿いにあって、おそらく崩落を繰返して形成されたであろう、比較的広い南向きの段丘に、集落が発達しています。

 河原に沿った地域から、一段上がった段丘の、南向きの斜面に大磧神社はあります。鳥居を見上げるように急な坂道を登った、丘の上の神社。急峻な斜面に、ぽっかりとできた平地にあって、境内の地形も、とても複雑な形をしているのですが、それが、歌舞伎を観るときに役に立ちます。
 舞台は、境内の西の端に建てられているのですが、その背後と南側が急に落ち込んでいるため、舞台と花道の裏手に、荘厳な谷間の風景が借景となって広がります。そして、平土間となる境内の広場を挟んで、舞台の対面、北東側を半円形に囲む急な斜面は、舞台を手に取るように眺められる上等の桟敷席になるのです。
 小さな神社の境内に溢れるほど人が集まるとなると、ネヤネヤなお祭り状態になるんじゃないかと思われますが、そんな地形的な利点のせいか、ぜんぜんそんなかんじではない、優雅な雰囲気があります。

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 歌舞伎といえば、お弁当です。神社の入口に、大鹿村のお母さん達の集まり「みどり会」の歌舞伎弁当がありました。地の食材だけでできた、お弁当だそうです。おいしそうです。完全予約制なので、事前に申し込まなければなりません。
 大鹿村の家々には、たいてい「ろくべん」という行楽用の弁当箱があるそうです。江戸時代から使われてきた、行楽用の弁当箱で、持ち運び用の取っ手が付いた、六段重ねの弁当箱。歌舞伎を観るとき、みんな「ろくべん」にご馳走を入れて集まったのですね、きっと。最近は、一人前二段重ねにアレンジされた、紙箱の「ろくべん」が販売されるようになったのですが、これも、販売数量が限定されているので、なかなか手に入らないようです。
 境内に入ってすぐの石灯籠に「おひねり用の紙はこちらです」の張り紙。大鹿歌舞伎の主役のひとつ「おひねり」を作るための和紙が、なんとも無造作なかんじで、石積の上においてあります。「中身は自分でご用意ください」。

 大鹿村青年団の人たちが、入口でパンフレットを配布したり、お客さんの案内をしています。この豆冊子というのは、定期公演の度に毎回手作りされて、100円で販売されます。その日上演される外題の解説や、役者の紹介、黒子や裏方さんの紹介、おひねりの作り方や投げ方、掛け声のかけかたなど、大鹿歌舞伎を楽しむためのいろいろなことが、趣向を凝らして、手作りの冊子にまとめられています。とてもいいです。
 青年団の人たちや、その世代の、大鹿へ移住してきた若い人たちと話すと、文化や社会のことに関する、認識水準の高さを感じます。みんな強い自信と愛着を持って、大鹿村を見ています。

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 開場してから4時間、弁当を食べたり酒を飲んだりしながら、賑やかに会場は暖まり、席取り用の座布団が見えていた客席も、ほぼ埋まった開演30分前、祝電披露から、前説が始まりました。いろいろな文化団体、国会議員や市町村長などのお歴々から、たくさん祝電が来ています。前説は、そのまま、今日上演される外題の説明、大鹿歌舞伎愛好会の説明と続いて、村長の挨拶が始まりました。
 これが、なかなか見事なのです。ちゃんと裃を着込んだ、大鹿村村長の中川豊さんが、舞台の中央に独座して、太い眉毛も表情豊かに、ときに会場を笑わせ、沸かせながら、押しの強い発声で、歌舞伎の語り口さながらの口上を披露してくれました。こんな人が村長なのだから、大鹿村は楽しいはずです。

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 そして、この日は、襲名披露がありました。歌舞伎の舞台を司る大役「太夫」の襲名披露です。
 今まで60年あまり、大鹿歌舞伎を牽引してきた片桐登さん、つまり竹本登太夫(たけもととだゆう)の後継者として、この10年、大鹿歌舞伎の発展に尽力してきた北村尚幸(ひさゆき)さんが、竹本登尚太夫(たけもととしょうだゆう)を襲名し、太夫幕が授与されたのです。とても重みのある襲名披露の場に居合わせることができました。こうやって、晴れやかに、誇らしく、後継者を生んで行くのですね。
 同時に、芸を究めた浄瑠璃弾語りの名手として、永きに渡って大鹿歌舞伎の向上に努めた功績を讃え、片桐さん、竹本登太夫にも、新しい太夫幕が寄贈されました。太夫幕は、本番舞台のときに、浄瑠璃を弾語る「太夫座」の表に掲げられます。

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 今日ひとつめの外題は「鎌倉三代記・三浦別れの段」。
 大鹿村青年団の豆本によると、大阪夏の陣、政略結婚をさせられた千姫を巡る、徳川と豊臣の謀略を、鎌倉時代に置き換えて描いた物語です。真田幸村転じて、佐々木高綱が策士として大活躍する物語です。今日襲名披露したばかりの竹本登尚太夫の弾語り。早くも、おひねりが飛び交います。
 大鹿歌舞伎の芸域は、「素人の村芝居」というような域のものではありません。「練習不足が否めない」と、口上では述べられていましたが、それにしても、とても伝わって来る舞台表現が、出来上がっています。素晴らしい。

 後半は「御所桜堀川夜討・弁慶上使の段」。
 こちらは、師匠・竹本登太夫が浄瑠璃を弾語ります。やはり、すごいです。声の飛んで来る速さ、三味線の表情、節回し。歌舞伎の語りについて云々できるほどの素養は、もとよりありませんが、意味はわからずとも、魅力を感じることは、誰でもできるものですね。お師匠さん、普段の話し振りも、面白くて惹きつけられるのですが、舞台での浄瑠璃弾語りは、やはり見事。
 この演目が上演されるのは、だいぶ久しぶりのようです。青年団の人たちも「この段は見たことがない」と言っていましたが、大鹿歌舞伎のレパートリーは、とても豊富で、主な演目だけでも20くらい、全部で40近い演目があるようです。

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 ふたつの外題が、ゆったりした幕間を挟んで、3時間ほどで上演されました。時間は、とても緩やかに流れました。詰めかけた人々はみんな、とても満足げに、楽しそうな表情をしています。
 口うるさい注意事項は、一切ありません。ご飯を食べていてもいいし、お酒を飲んで、陽気になっていてもいいし、おひねりはどれだけ投げてもいいし、いつ投げてもいいし、写真を撮るのも、ビデオを撮るのも、一切の禁止事項はありません。けれど、誰も、芝居の流れや会場の雰囲気を乱しません。1500人あまりの観衆みんなが、緩やかに舞台に集中していて、観ていても、観ていなくても、会場全体が、芝居の流れをわかっているかんじなのです。前の方で、小学生くらいの子供達が、目を輝かせて真剣に見入ってたりもします。とてもいいかんじです。

 最後は「千秋楽・お手打ちの儀」です。
 この日の出演者、裏方さんたちが、全員舞台上に並び、代表として、竹本登太夫がお礼の口上を述べます。今日の公演が成功したことへの感謝を述べ、再会を祈り、出演者も、観衆も、神社にいる全員で、「シャシャンがシャン!おシャシャのシャン!」と手を打って終わります。とても堂々とした終わり方です。

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 大鹿歌舞伎の魅力は、とても良いかたちで外に流れ出しているように思います。300年という長い歴史は、もちろん素晴らしいものですが、それだけではないのだと思います。近代の社会の変質に同調せず、大鹿村の流儀を変えず、けれど、自分たちを守るために閉鎖するのではなく、外から来る人々を寛容に受入れ、国立劇場で上演したこともあれば、オーストラリアやドイツへ遠征もする、積極的に他の地域へ出かけていく姿勢が大鹿歌舞伎にはあります。たぶんそれらのことは、高い認識に裏付けられた、自分たちへの誇りと自信がなければ、できないことだったりします。

 終演後、境内はテキパキと片付けられて、あっというまに元の神社に戻ります。ゴミはひとつも落ちていません。
 雑貨店「さくら組」、神社の坂の下で開いていた露店も、店じまい。さくら組は、地元の女性達による手拭、雑貨屋さん。自分たちでデザインした手拭や、手拭で作った様々な生活雑貨を売っています。とてもセンスのいい、個性的な品が並んでいます。
 大鹿村の山中でコーヒー豆を商っている「カフェマヤ」も、今日はお店を開いてて、一日じゅう、境内にコーヒーの良い香りが漂いました。隣りのたこ焼き屋さんも、五平餅屋さんも、ほかの屋台も、すべて大鹿の人たちがやっています。

 とても面白い一日でした。面白いだけではない、いろいろな人やものごとに出会って、いろいろなことを知った、有意義な祭でした。この雰囲気が好きで毎回来る、という人の気持ちがわかります。ただの一日の娯楽、行楽ではない、大きな自然と人間のアイディアの循環が、その魅力を生んでいるのだと思いました。

 次は秋の定期公演。……また行こ。

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【Ngene掲載:2008年5月7日】

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音楽・文化・アートを柱に、社会が、おもしろく、少し幸せになるような、いろいろなことを試みています。

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