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花盛りの大鹿村 ~美しい景観をつくる基礎的な要因~

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 春。
 連休直前の大鹿村は、花桃と桜と芝桜が村のあちこちに咲き誇る、桃源郷さながらの美しい里になります。特に、地形をなぞるように配置された花桃の姿は、ただ紅白の花々が咲き乱れているのではなくて、なんだか芸術的だったりします。
 もともと、人智を超えた美しい自然が、この村の魅力なのですが、この山村の美しい風景は、単に自然に出来上がっただけのものではなく、じつは、この数十年の間に凝らされた、大鹿村の人々の工夫の蓄積でもあるのです。

 大鹿村南東部の谷筋、小渋川に沿って赤石岳を臨む大河原地区。地区の入口にあるお宅から、もう目を見張ります。耕され、種まきを待つ畑の向こう、斜面に築かれた敷地を縁取るように配置された、紅白の花桃や桜、緑の芝、種々の花々は、あきらかに、そこに住む人の感性による工夫が加えられた景観です。借景となる背後の斜面でも、あちこちの庭や畑で、それぞれに植栽が工夫されているので、それらが総じて、そこかしこに薄紅色のけむる、美しい風景になっています。

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 大河原地区から山道をひとしきり登った、一段高い段丘の上の集落・上蔵(わぞ)。庭や畑を花々で飾る習慣は、大鹿村全体の中でも、この集落がいちばん浸透しているように感じます。
 2月に、漆原幸さんというおばあちゃんに出会ったところです。漆原さんがどんなおばあちゃんなのかは「早春の大鹿村・大河原地区」にありますが、つまり、崩落の多い山道の崖を覆う無骨な落石防止ネットを、一面、きれいな青いあさがおで覆い尽くしてしまうという、大変なアイディアを実践したおばあちゃんです。

 この上蔵集落は、高台にあるために見晴らしも良く、フォッサマグナの地層が露頭した岩壁や、谷間の向こうに聳える赤石岳の荘厳な姿など、他の場所ではなかなか見ることのできない独特な景観があります。しかも、背後を囲む山並と、その麓に至る斜面の角度や距離の関係が良く、四方八方、いろいろなものが調和のとれた、見事な自然の景観をなしているのです。けれど、それでも、自然の美しさだけでは、ここまで魅力的な風景にはなりません。風景の中に美しさの素因を探ってみると、自然の構図を土台に、ここに住む人々の長い年月をかけた工夫が、この魅力的な景観を形成しているのだ、ということがわかります。

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 村じゅうを花で飾る習慣は、じつは、この上蔵集落に端を発している、ということができます。
 上蔵の平地の集落を抜けて、東側の山の斜面を、森の中へ分け入って登って行くと、つづら折りの山道のいちばん奥に、「延齢草」という宿泊施設があります。古い木造校舎を使った宿泊施設です。この「延齢草」のオーナー・小林俊夫さんが30年前に起こした、あるアクションが起因となって、この習慣が醸成され、村じゅうに浸透していったのです。

 この時期に「延齢草」訪れると、庭先に並んだ、薄桃色と紅色の花桃が出迎えてくれます。訪れる人を、出迎えたり見送ったりする、この宿の気持ちが並んでいるように感じます。ここから奥は、急傾斜の農地と牧草地、そして人の住んでいない山だけ。

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 手作り本格チーズのお店「アルプカーゼ」と、廃校になった旧大河原中学校の校舎を移築再建した宿泊施設「延齢草」。ご主人である小林俊夫さんご夫妻、そして、その娘さんご夫妻が運営しているこの場所は、この数十年、大鹿村の美しさの源泉ともいうべき場所になっています。
 日本の社会が高度経済成長を遂げ、騒乱状態になりながら、均質化を急激に強めて行った1970年代、小林俊夫さんは、既に「地域が個性を持って存立すること」を、この場所で主張し、実践し始めていました。詳しい話は別の機会に記述するつもりですが、最初は変人扱いされた個人の熱意とアイディアが、古来この村にあった智慧と結合して、この美しい村を作り上げているようなのです。30年という、長い年月の間に蓄積されて来た美しさです。

 そして、大鹿村が花々で飾られるようになった経緯も、やはり、最初は理解されない、小林さんの試みから始まっていました。
 小林さんが、大鹿村の官報の編集に携わっていた数十年前のことです。それまで白黒だった官報の表紙を、反対意見を押し切ってカラーに変え、庭のきれいな家を一軒一軒撮影して、シリーズで取り上げて行ったのです。それも、塀で囲われた庭ではなく、集落に開かれた美しい庭ばかりを、特集して行ったのです。地域空間を構築するための基礎的な審美基準を習得する、とても優れた方法だと思います。短時間に結果の出る、わかりやすい方法しか選択できない日本の社会には、決定的に欠落している、人間の感性を自然に、豊かにする方法です。
 「そんなことをして何になる」と言われながら、小林さんの独断によって、その特集は続けられたわけですが、その表紙の美しさに憧れた大鹿村の人々は、家の外に向かって、集落に開かれた、きれいな庭を、こぞって造り始めたのです。官報の、その表紙特集シリーズが終わっても、その気運は続き、やがて、家の庭だけではなく、村落のあちこちに、あたりまえのように、美しい花を育てていったわけです。「何になる」どころか、数十年後に、こんな美しい村の風景を形成する、この村の人々の基礎的な美意識になりました。

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 これがアート、生活を豊かにする技術です。職人たち個々のセンスで、てんでバラバラに壁を塗ったイタリアの家々が、総体的に美しい街並を形成するように、この村では、付焼き刃の条例で規制したり、スローガンで煽ったりすることなく、また、村の歴史や文化を充分理解していない外部の有識者を頼むことなく、村の人たち個々のセンスで、この景観を作り上げているわけです。村の人たちみんなが、アルティザンなのです。

 この方法は、わかりやすいマニュアルやスローガンがないぶん、人々の想像力を豊かに進歩させます。想像力は創造力を生みます。別に語呂合わせではなくて、そうなのです。そして、規制やスローガンで固まった社会が低劣化するのに比して、この方法でできた社会は、認識水準が高まるのです。
 余計な話ですが、東京の街なども、文化やアートの機能を本当に知っている人が、リーダーとして関連する各分野にいたら、今のような、醜い街にはならなかったかもしれません。

 ここにあるアイディアは、これから、日本の社会をもっと魅力的にするために、とても重要なものだと思います。ご主人の小林俊夫さん、かなりお忙しい様子で、この日も全国を飛び回っているために不在でしたが、いつか、お話を聞いて記事にしたいと思います。

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 さて、5月3日は、いよいよ大鹿歌舞伎、春の定期公演です。この、大河原地区の鎮守・大磧神社で行なわれます。毎回1500人以上の観衆が集まるという、大鹿歌舞伎の定期公演。歴史のある一級品の伝承芸能の楽しさを、来週ここでレポートします。

 やんちゃなおじいちゃん、片桐登さんの語る浄瑠璃、楽しみです。

平成20年大鹿歌舞伎春の定期公演
日時:2008年5月3日(土・祝)正午より
場所:大鹿村大字大河原 大磧神社舞台(雨天の場合は大鹿小学校体育館)

上演外題:鎌倉三代記 三浦別れの段
     御所桜堀川夜討 弁慶上司使の段

問合せ先:0265-39-2100/㈶大鹿歌舞伎保存会
臨時バス:JR伊那大島駅 9:10発(片道¥1,000)

「大鹿村観光情報」

【Ngene掲載:2008年5月2日】
§ § §

【追記:2011年4月28日】

 結局、大鹿村の人々の、さまざまなアイディアに触れる記事は、実現することなく、そのまま僕は身動きが取れなくなってしまいました。大鹿歌舞伎と、その最重要人物・片桐登さんについては、かろうじて、その端緒につくことはできたのですが、他にもたくさん、記述しておきたいことが残ったまま、翌2009年に、大鹿歌舞伎、春の定期公演に招かれたのが、最後の大鹿村訪問になってしまいました。

 歴史の分かれ目だった1960年代に、世界のビートニクと共闘したナナオサカキ、今も残る、その一派、日本におけるフェアトレードの草創期から、グアテマラのコーヒー豆を扱っているカフェマヤ、最奥の集落に住む、イギリス人の組合長、大鹿歌舞伎を伝承する若い世代、他所の土地から流入する知的階層の人々、この記事で触れた小林俊夫氏、そのほか、この村には、興味深い人々が、ものごとが、たくさん存在するのです。
 単なるノスタルジーや、民俗学的な興味ではなく、パラダイムシフトを必要としている現代のこの社会に、人間本位の、幸せな形をイメージするためのアイディアが、いろいろな形で、その中に含有されているように思います。

 なんとかして、行きたいなぁ、大鹿村。
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プロフィール

宮内俊宏

Author:宮内俊宏
音楽・文化・アートを柱に、社会が、おもしろく、少し幸せになるような、いろいろなことを試みています。

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