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早春の大鹿村・大河原地区

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 長野県南東部の山岳地帯に、大鹿村はあります。西の麓では、長野県伊那市、飯田市などに隣接し、東の境界に連なるアルプスの向こう側は、静岡県の北端、人の住んでいない、大井川の源流地帯です。周囲を、深く切り立った山ひだに囲まれ、その稜線の先には、間近に南アルプスの頂を望む、とても風景の美しい村です。

 伊那山脈と赤石山脈、南アルプスの深い谷間を、フォッサマグナ(中央構造線)に沿って、国道152号線が南北に走っています。長野県のまんなかにある諏訪湖のほとりから南下し、伊那市高遠から大鹿村を通って、飯田市上村に抜けるこの道は、すべて山の中。途上にある分杭峠と地蔵峠が冬期通行止めになるため、12月から3月いっぱいまでのあいだは、西の麓から入る2本の道路しか、村へ入るルートがありません。しかも、その2本のうち1本は、落石や雪崩の危険性が高く、ごく稀に通行可能になる以外は、ほとんどが全面通行止め。

 深い山懐に抱かれた、風景の美しい秘境・大鹿村ですが、美しいだけの村ではありません。
 ここは、大鹿歌舞伎という、高度な伝承芸能を継承している村であり、近年、独自のライフスタイルを持つ人達が、全国各地、世界各地から移り住んで来たり、集落の婦人たちによる、村の生活を楽しくする活動が盛んだったり、なんだか元気のある村なのです。
 一方で、頻繁に崩落する地盤を有し、全域に落石注意の標識が立つくらい道路が寸断されやすく、日常的に工事が行われていたり、建設材料としての採石が大規模に行なわれているため、大型のダンプカーが細い村道をひっきりなしに往来している、美しいだけではすまされない地域だったりもします。

 大鹿村は、ふたつの地域に分かれます。村の中心部から、鹿塩川に沿って北へ伸びる鹿塩地区と、南東へ、赤石岳を源流とする小渋川に沿って広がる大河原地区。いずれも、両側から屏風のように山が迫る険しい谷間で、少し陽が傾くと、谷底はすぐに暗く陰ります。そんな時間に、谷底の道から周りの山々を見上げると、暗く陰った家並みの向こうに、明るく、美しい陽射しを浴びた段丘の斜面が見えます。この谷間の風景の特徴です。午後の時間の経過に従って、日影の等高線が次第に山肌を登って行くのですが、その、寒暖のくっきりと分かれた色彩の美しさは、なんともいえません。

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 2月下旬、大鹿歌舞伎保存会の会長であり、浄瑠璃語りの第一人者でもある、片桐登さんに会うため、この大鹿村に行きました。

 ぽっかりと暖かい、穏やかな日でした。

 大鹿歌舞伎保存会の会長・片桐登さんは、とてもやんちゃなかんじのおじいちゃんでした。浄瑠璃の弾語りをするときの名前を、竹本登太夫(たけもととだゆう)といいます。片桐さんの子供の頃からの、大鹿歌舞伎と大鹿村をめぐる物語は、とても面白く、南信州の近代史を織り込んだ、一代記のような感があります。片桐さんの物語と大鹿歌舞伎については、別の機会に記述する予定ですが、大鹿村の誇りは、やっぱり、歌舞伎にあるのだと思います。

 かつては、村内13カ所の神社やお堂の境内に、回り舞台や奈落、太夫座を備えた、本格的な、芝居専用の舞台があったそうです。現存する舞台は7カ所に減っているようですが、それにしても、山間の狭い谷間にわずかな戸数で暮らす集落に、これだけの本格的な舞台が造られたのは驚くべきことです。
 片桐さんが子供の頃、昭和初期の以前から、ここ、大鹿では、祭芝居に参加することが、村の若者の誇り、芝居に出なくば男ではない(今では女性も演じますが)という土地柄だったのだそうです。小さな集落ごとに行なわれる氏神の祭に、毎年、村人たちによる歌舞伎は上演されてきました。しかも、やれば良いというレベルのものではない、芸としてしっかりと磨かれた、水準の高い芝居であり、演目も20近くを数えます。誇りを持った芸能でなければ、その水準は保てません。この隔絶された辺境で、厳しい生活環境の中で、大鹿村の歌舞伎は、人々がそこに住む根拠、心の拠りどころであり、祈りにも似た、強いエネルギーを持つものだったのだと思います。

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 毎年春、5月3日の大河原地区、大磧神社、秋、10月第3日曜日の鹿塩地区、市場神社で行なわれる大鹿歌舞伎の定期公演には、毎回1,500人あまりの観衆が集まります。地元の人達、帰ってくる人達、全国から集まる地芝居の愛好家、大勢が集まるということです。
 この定期公演の他、1975年から続けられている、大鹿中学校歌舞伎クラブでの指導、全国に招聘されての公演や、数度に渡るヨーロッパ公演、2000年の3月には、地芝居として初めて国立劇場で上演され、大成功をおさめるなど、長い間続けられている積極的なアウトリーチ活動によって、現在全国に150近くある地芝居の団体の中でも、大鹿歌舞伎はリーダー的な存在で、全国に知られています。

 大河原地区、小渋川沿いの集落から、曲がりくねった山道をひとしきり登ると、一段高い段丘の上に、上蔵(わぞ)と呼ばれる集落があります。
 集落の入口には、国の重要文化財、建立を平安末期とも鎌倉期とも伝えられる、福徳寺本堂があります。長野県最古の木造建築物ともいわれ、明治時代から特別保護建造物に指定されている、見るからに歴史的な重みを感じる建物なのですが、集落へ入る急坂の上に、さりげなく建っています。坂道で疲れたら、本堂の軒下の縁側に腰掛けてひと休みもできます。縁側に腰掛けると、四方八方、どちらを向いても見事な自然の構図が眺められる、絶景ポイント。

 この上蔵集落は、福徳寺以外にも、14世紀、南北朝時代にこの地に入った、後醍醐天皇第八皇子・宗良親王(むねながしんのう)の流れをくむ史跡が点在します。中央構造線の隆起を思わせる、断層の露頭を背景に、緩やかな斜面にできた風景の美しい集落です。福徳寺の裏手の丘の上、南アルプスを眺めるように墓標がならんでいるのが印象的でした。

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 大鹿村には、いろいろと、こだわったものづくりをする人が集まっています。

 数頭の牛と山羊を飼って、手作りの本格的なゴーダチーズを作っている「アルプカーゼ」が有名です。手作りでできる分しか、作らないのだそうです。このアルプカーゼのご主人・小林さんという方は、村が取り壊しを決めた旧大河原中学校の校舎を、有志を募って保存、移築し、「延齢草」という宿泊施設として運営しています。昭和中期、戦争直後に、村民総出で建築した大切な村の文化資産は、当時の外観そのままに、階段やテーブルなどの備品も当時のものを使いながら、現在でもいきいきと利用されています。

 また、南米グァテマラ、標高1800メートルの高地で先住民族マヤの人々が栽培する、産地直送コーヒー豆を日本に輸入販売している方が、ここ、大鹿村に住んでいます。農薬や化学肥料を使わず、手作業で収穫されるオーガニックなコーヒー豆です。田村寿満子さん、田村アキさん、ご夫婦が運営する「カフェ・マヤ」です。南山(みなやま)という地区の上の方に住んでいらっしゃるということで、「4輪駆動でなければ無理だよ」と片桐さんに言われ、今回は、訪ねることを断念しました。ご主人のアキさんは、有機栽培で良質な野菜を作り、自給自足を実現していらっしゃる方とのこと。いつか、お話を伺ってみたいものです。

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 上蔵集落の中ほどで、農作業の帰りらしいおばあちゃんに声を掛けられました。外から来た人を見かけると、必ず声を掛けるようにしているそうです。 
 漆原幸さんです。
 漆原さんは、大鹿村へ入る幹線道路の落石防止ネット一面に、真っ青な朝顔を咲かせたり、集落のおばあちゃんたちを組織して、農産物を手作りで出荷直売したり、いろいろ、この集落の元気の源のような活動をしている、笑顔の美しいおばあちゃんです。漆原さんのご自宅前の道ばたで、しばし、この村の様子について話を伺いました。

 高齢化がかなり進んだこの村では、今年のように雪の多い冬は、雪掻きが一苦労です。片桐さんもおっしゃってましたが、雪掻きは、農作業よりも足腰に負担がかかるのです。この集落の家屋も、かなり空き家が多くなっていて、降った雪の処理は本当に困ったようです。

 典型的な過疎の村ではあるのですが、最近では、その風景の美しさや、大鹿歌舞伎に象徴される文化的な魅力も手伝って、都会から移住してくる人、UターンやIターンで入って来る人が増えているようです。

 市場原理は、こういう、経済的に末梢にあるエリアに厳しく働きます。需要がなければ供給されないという原理は、特に景気が低迷すると、ひときわ辛い状況をもたらします。消費経済の視点では、この村に未来はないでしょう。
 けれど、前述の片桐さん、アルプカーゼの小林さんや、この漆原さんのように、この地域に蓄積された美しい文化を積極的に育てることで、この地域に魅力や誇りが生まれ、外から人々が移り住んで来るようなことに結びつくことがあります。

 ここの住民のみなさんの認識についての記述が、地方事務所が行なった懇談の議事録にありました。
 以下、概略。

 「過疎化の問題や、一極集中の問題は、歴史が解決してくれると思っている。ここは昔、炭焼きで儲けて賑わい、エネルギー革命で石油に取って代わられて、寂れました。でも、都会も疲弊して、逃げ出したいと考える人も増えています。石油資源も底をつきかけて、次のエネルギー革命がすぐそこまで来ています。この森林や自然の美しさに価値が出る時代が、また来るかもしれません」

 アイディアの元気な村は、風景が美しいだけでは終わりません。

【Ngene掲載:2008年2月28日】

大鹿村ホームページ
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宮内俊宏

Author:宮内俊宏
音楽・文化・アートを柱に、社会が、おもしろく、少し幸せになるような、いろいろなことを試みています。

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