スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

遠山郷・旧木沢小学校 ~上~

 霜月祭の里・遠山郷は、長野県の最南端、南アルプス山中、伊那山脈と赤石山脈に挟まれて南北に走る、深い渓谷にあります。幾重にも、複雑に折りかさなる山脈の、崩壊土壌によって形成された急傾斜の農耕地、谷底を流れる遠山川の流域に点在する集落、険しい山肌が間近に迫り、峰から峰への合間に、三千メートル級の連山の稜線が威容を覗かせる。独特の景観が、何とも形容しがたい神秘的な感覚を生む場所です。

 遠山郷は、概ね3つの地域に分かれていて、北から入ると上村、南から入ると和田、木沢はちょうど真ん中にある集落群です。遠山川に沿って走る国道152号線から、少し西にはずれる旧道へ入ると、小高い丘の上に、地域の公共的な役割を果たす、いくつかの施設が集まっていて、その核のような位置に、旧道を挟んで、木沢正八幡神社と旧木沢小学校の木造校舎が建っています。

kizawa_main.jpg

 木沢小学校の、この校舎は、昭和7年の春に建築されました。ここがまだ木沢村だった時代です。

 木沢村で学校教育が始まったのは明治5年。村の中心地である霜月祭の舞台、つまり、木沢正八幡神社の社殿を利用して、修身学校が発足したときの児童数は14名。明治時代の終わりに、神社の向かい、現在のこの場所に校舎を新築したときは、69名に増えていました。

 そして、昭和7年に現在の校舎を新築。すべて遠山の木を使って建てられたそうです。
 昭和7年というのは、世界恐慌のさなか、世界各地で紛争が勃発していた、いわば、第二次世界大戦前夜。日本では、対話による外交を貫こうとしていた犬養毅が暗殺されたのが、昭和7年です。社会が、堰を切って戦争へと傾いていった時代でした。
 そんな、世界の急激な変動を背景に、遠山谷は劇的に活況を呈します。南アルプスの国有林で、軍事目的の森林開発が始まったのです。軍用材の搬出のために遠山森林鉄道が敷設され、林業に携わる人々が大挙して流入しました。村の人口は倍増し、児童数も増加。昭和20年のピーク時には、300名を超える子供たちが、この校舎に通っていました。
 そして、敗戦後もしばらく、林業の好況は続きます。遠山村と木沢村が合併して南信濃村になった、昭和35年頃も、児童数は250名を超えていということなので、増加期から減少期までの前後の時代も含めると、およそ半世紀あまり、子供たちの声が賑やかに、この校舎に響き渡っていたのですね。

 ところが、その後、状況は一変します。
 既存の伐採地に木材がなくなり、さらに急峻な奥地を切り拓いて行くために事業経費が膨らみ、さらに、集中豪雨などによる軌道の被害が重なって採算が悪化したため、昭和43年、遠山森林鉄道は廃止。

 林業の衰退と重なるように迎えた高度経済成長期、若年層の村外流出が始まり、遠山郷は急激に過疎化が進みます。児童数も減少の一途をたどり、平成3年、閉校となった最後の春の児童数は26名でした。卒業生が8名と、在校生が18名。

kizawa_2.jpg

 平成12年に完全に廃校となった後、木沢の精神的な支柱であったこの木造校舎を残すために、様々な取組みがなされて来ました。行政や教育委員会との軋轢も少なからずある中で、木沢の人々は、できるだけそのままの姿で校舎を残す方法を模索したのです。
 廃校となった木造校舎というと、多くの場合が立入禁止になって管理され、あるいは放置され、地域のフィルムコミッションなどによって、映画や写真の撮影の時だけ貸し出される仕組みになっていたり、そうでなければ、少し人の集まりやすい場所に移築され、商業施設として再利用されたりすることが多いと思います。ですが、この旧木沢小学校は、そのどれとも違う形をとっています。
 学校として使われていた頃の姿をできるだけ残し、当時そこにあった教材や机、黒板、教室のいろいろな道具を、今もそのまま、そこに置いているのです。

 南信濃村が飯田市に合併された後、現在、この校舎の所有は飯田市観光課になっていますが、維持管理は、木沢地区活性化推進協議会が中心となって、木沢の人々によって行なわれています。
 正面玄関を入った突き当たりの廊下に、大きなガラス瓶が置かれていて、ここを訪れた有志が、その中に協力費を入れるようになっています。校舎を存続させるための維持費は、このガラス瓶に集まった、有志の人々の協力費によって賄われています。
 当時の形をできるだけ残しながら、霜月祭の道具や写真を展示した教室を作ったり、木沢の家々から歴史的な遺物を持寄って、少しずつ展示を充実させたり、廊下や階段には、古い木沢を撮影した写真展が常設されています。

kizawa_3.jpg


 最後の一年生の教室には、当時使われていたピアノが、そのままの姿で残されていました。とても珍しい形をしたアップライト・ピアノです。ほとんど調律されていない様子なのですが、大きな胴の鳴りが特徴的な、何とも魅力的な音をしたピアノです。このピアノを、この長い時間と空気に鍛錬された性質そのままに、ほんの僅かだけ音を整えて、ちゃんと魂のこもった演奏をする演奏者によるコンサートを開いてみたいものです。さぞかし奥深い、いろいろな想像が掻立てられる演奏会になるに違いありません。

 正面玄関を入った取っ付きの階段を上がると、踊り場上の、天井裏のような部屋の壁に、運動会の大玉送りで使う紅白の大玉が仕舞われています。まるで、最後の運動会が終わった後ここに片付けられて、そのまま今日まで置かれているみたいです。竹で編んで布張りされた大玉の、手に触れた一瞬たわんで、適度な重みと竹の軋む音を残しながら後ろの方へ転がって行くかんじが、秋の運動会の冴えた空気のかんじが、瞬間的に記憶の中に甦って来ます。
 薄暗くなった2階の廊下で、自分の小学校の頃の記憶が、忘れたまま一度も思い出したことのない記憶が、急に蘇った驚きで、暫く立ち尽くしました。それは、ちょっとほろっと来る、ちょっと嬉しい体験でした。

kizawa_5.jpg


 校舎の脇、渡り廊下の先に、木沢の人々が「宿直室」と呼んでいる棟があります。そこは、どうやら地域の人々がふらっと立ち寄る場所になっているようです。ある日の午後、その宿直室で、木沢を牽引して来た2人の方に話を聞きました。
 この厳しい生活環境と歴史を持つ木沢を、永きに渡って牽引して来た、とてもインディペンデントなふたりのじっちゃんです。とても面白い話でした。

 つづきは「遠山郷・旧木沢小学校 ~下~」で。

【Ngene掲載:2008年3月16日】

|~上~|~下~
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

main_line
main_line
プロフィール

宮内俊宏

Author:宮内俊宏
音楽・文化・アートを柱に、社会が、おもしろく、少し幸せになるような、いろいろなことを試みています。

カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新コメント
最新トラックバック
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。