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~勝山ゆかこインタビュー [前編] ~

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 テントギャラリー。
 広場の片隅や、野原、林の中や近所の河原に、突然、白いテントが現れて、その中に、いろいろな造形表現が並んでいる。犬の散歩の途中で「なんだろう」って覗いてみる、アートのありかた。

 勝山さんの表現活動には、それによってオーソライズされたいとか、成功したいというような意欲が見られません。誰もいないところで、独りで、ひっそりと、その活動を営んで、へたをしたら、そのまま何も起こらなくても良いと思っているかんじがするのです。
 その表現の素になっているのは、いったい何だろう、どこから、その力が湧いて来て、どんなふうに、見る者に伝わって来るのだろう、そんな、表現の源泉を知りたくて、勝山さんを訪ねてみました。

~勝山ゆかこインタビュー [前編] ~

ーテントギャラリーは、どんなことから発想したんですか?

 やっぱり、最初は形にこだわってて、普通のギャラリーを探したんです。けど、とっても高いんですね、借りるには。美術館も、あんまり、これだっていうかんじじゃなかった。美術館だと入場料が必要じゃないですか。観る人にお金を払ってもらうっていうこと自体が、もう自由ではないんじゃないかって。

 フランスに行ったときのことなんですけど、ギャラリーはもちろん、もっと気軽に入れるような施設が、いっぱいあったんです。それで、日本でもなんとかできないかなって思った。何かを観に行こうって、身構えて立ち寄るところじゃなくて、散歩してたら偶然、そんなものが、いつもないところにあって、立ち寄ったら偶然そういうものが観れるっていうふうに、普通の景色の延長線上にしたかったんです。

ー例えば、商店街の人なんかと一緒に、街の中に作品を展示するとか、そういう方法もあると思うんですけど

 たぶん「100%自分の城」が良かったんですね。誰とも関わりたくないというか、何か、隣のものに影響されたくなかったし、それは、やっぱり、制限とか出てくるものだし。自分の聖域を侵されたくないからなんですよね。100%自分でっていうのが理想だった。

ー他者の干渉を受けたくないっていうのは、もともと、勝山さんにはそういう性質がありますか?

 そうですね、もともとそうですね。親でさえも、幼い頃には、そうでした。自分が絵を描くときは、家の中に誰もいて欲しくないんですね。で、みんなが出かけてる時には、絵が描けるんですよ。

 ずうっと、自分を演じてたんです。人に、親に、自分はイイ子でいなきゃいけないっていう。なんか、自分でない自分でいたんですね。ほんとはネクラで、あんまり言葉も喋りたくなくて、人とも関わりたくなかったんですけど、親からは「明るい子で、明朗活発で」っていうふうに強要されてる気がして、それを演じなきゃいけないって感じてた。

 ほんとのところは、ひとりが好きで、昆虫とかいじってる方が好き。わりと、節足動物が好きみたいですね。小さい頃は、生まれ変わったら節足動物になりたいと(笑)思ってました。なんか、人間の世界より、動物の世界にすごく憧れてました。人間の良さっていうのが、まったくわからなかったんですね。ほんとに、ここ最近、一年ぐらいですね(笑)、ひとの良さっていうのに気づいたのは。

ー一番最初に、自分の表現として絵を描いたのは、いくつぐらいのときですか?

 小学校入ってすぐですね。スケッチブックと、あとは、普通の2Bとかの鉛筆1本で。

ーそのときは、別に絵を習ってたわけではないですよね?

 そうです、習ってないです。絵は、まったく一度も習ったことないです、小学校で、普通の授業で絵を描いたりする以外は。絵を描いても、誉められたことがなかったんで、私は絵が下手なんだな、としか思ってなかったですね。

ー人と接するのが苦手で、絵をとにかく描いてて、でも、その絵も誉められたことなくて、という子供時代

 そうですね(笑)。二面性があって、ほんとはネクラなのに明るい子を装ってた。けど、わりと、いじめられてることが多かったので、どんどんネクラになっていきましたね。小学校の頃は、まだ、普通に冷やかされたりするくらいだったんですけど、いじめられても泣かない子だったので、逆に、いじめられ続けちゃって。友達は、かろうじて一人か二人。高校までずっと、そんなかんじでした。クラスメイトの名前も言えないです、たぶん。誰がいたのかもわかんない。本とか、あんまり読むの好きじゃないんですけど、休み時間とか、やることないから、仕方なく本を読むフリをして時間つぶしたり。そういうことしてましたね。

ーで、ひとりになると絵を描いて。

 そうですね、家に帰って。油絵はもう小学校の頃からやってたんで、それは、たまたま学校の授業で油絵を教えてくれる教科があったので、それがきっかけで、ずっと自分で続けてましたね。でも、家でやると、やっぱり絨毯が汚れたりするんで、親には反対されて(笑)。

ーとにかく、絵を描くことが好きだったんですね、絵を勉強しようと思ったことはないんですか?

 そうですね、たぶん好きっていうより、絵を描いているときだけは自分でいられるっていう……。
 けど、勉強しようと思ったことはないですね。やっぱり、上手いって言われたことがまずなかったんで。親も「汚すだけだからやめてくれ」っていうかんじだったから(笑)。作品が出来ても、やっぱ、あの、「いらないんなら捨てるけど……」って言う(笑)そういう親だったんで。なんかわりと、ドライな関係だったんで。うっかりしてると、ほんとに捨てられちゃうんですよ。

ー大きくなったら何になる、とか、進路の問題が出て来る時期がありますよね?そのあたりは、どうやって乗り切ってたんですか。

 普通に、平凡に生きていられればいいかなって、平凡に生活できればいいって思ってましたね。何か特別な職に就きたいとか、偉くなりたいとか、まったく思ってなかったです。夢はなかった(笑)。田舎だったから、華やかな職種の人なんかも、まったく知らなかったし、たいがいは工場なんかに勤めて、普通にお母さんになって。
 大学は、本当は行きたかったんです。ずっと高校までいじめられて、というか、友達があんまりよくできなかったから、大学に行けば、ちょっとこう、何か、変われると思ってたんですね、きっと。けど、まあ、親に反対されて。

ー高校まで、ずっとひとりぼっちで、大学は、行きたかったけど行かなくて

 高校卒業して、すぐ就職しました。農協に入って3年間。わたしは、本所に行ってばりばり仕事したいと思っていたんですけど、支所に回されて、なかなか、その希望は聞き入れられなくて、他の人には、楽だからここにいた方がいいよって言われて、でも、自分の人生が終わっちゃうと思って、辞めたんです。それから、お金がいい方へとか、仕事に飽きちゃったりして、次から次へと、すぐに職を変えてましたね。途中からは、寮のある会社を選んで、家を出ました。

ーそのときも、ひとりでしたか?友達とか、仲の良い人とかは

 いないですね。職場では、ほんとに友達とかまったくできなくて、逆に、敵が多かったですね。なんかわりと、やるからには真剣に本気でやりたいんで、他の人のちょっとした、そういう、楽だからっていうかんじが許せないんですよ。私は、けっこう、休みの日も仕事の関係のことをしてたり、まわりからは、それが理解できないって疎まれて、よくぶつかってましたね。

 絵は、ずっと描いてました。職場が変わっても、画材だけは寮に持ち込んで、油絵、やってました。仕事に行く直前まで描いて、そのまま会社に行って、帰って来てまた描くっていう生活をしてました。けど、誰にもそんな話をしたことないし、誰も、それを知らない。

ー絵を売ろうとか、展覧会に出そうとか、そういうことは、なかったんですか?

 なかったです。
 誰かに言われたことがあって、「いい絵は、必ずいい出会いをする」って。だから、自分から言わなくても、自分がいい絵を描けたなら、きっと、その絵は、違う人といい出会いを、偶然どっかでするんだろうなあって、信じてたんです。だから、自分から公表する必要はないんだろうって思ってました。

ーずうっとひとりで絵を描き続けて、それは、いい絵が描けたら必ず何かあるっていう一点の希望だけで

 そうですね(笑)。いじめられてるときも耐えられたのは、いじめられて耐えてるけども、絶対その分、何か、天が何かを与えてくれるはずだって、信じてたんですよ。人と同じにできなかった分、何か埋めてくれるんじゃないかっていう、期待があって。それで我慢できたんですね。いじめられてても、わたし一日も学校休んだことなくて、皆勤賞なんですよ(笑)。

 §  §  §

 勝山さんは、静かで、にこやかな方です。けれど、よく聞いてみると、とても変わった感覚で生きて来ているようです。
 勝山さんのように、何かひとつの、ほんの小さな信念に従って、ずっと生き続け、そして、生き続ける結果として、新しい創造物を生み続けている、そんな姿が、こんな世の中ではとても価値があると思います。時代の潮流に乗った美しいキャリアよりも、むしろ。
 作品に対する評価とは別に、アーティストの動機や姿勢、そして、そこに創出されるエネルギーが、人を惹きつけることがあります。後編では、いよいよ、多角的に分岐して行ったアーティスト・勝山ゆかこの、表現の奔流に触れてみることになります。面白いですよー。

【Ngene掲載:2007年3月1日】

|前編|後編

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勝山ゆかこ
1975年長野県須坂市生まれ。長野市在住。
絵、オブジェ、インスタレーション、写真、イラストなど、手段・手法にとらわれず独自の切り口で創作活動を続けている。2006年から新たにハンドメイドの彫金ブランド百文[ momon ]を展開。
momon | Yukako Katsuyama
百文[ momon ]
Ricky
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~勝山ゆかこインタビュー [後編] ~

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ー勝山さんの絵は何かを写生しようという絵ではないですよね

 子供の頃は、そっくりに描かなきゃいけないって教えられて、それを真剣にやってましたね。だんだん変わってきたんです。すごく観察して、そっくりに描くことはできるんですけど、観察すればするほど、実際はそうじゃないんじゃないかって思い始めたんです。たとえば、花を描いてても、花びらの側面とその隣にある空間が繋がっているように感じてきたんです。その境目は、肉眼では確かに存るんだけど、それは、私という人間の視点であって、本当は境はないんじゃないかって、思ったんですよ。21くらいのときかな、境は必要ないって。それまでは、わりと写実的だった。

ーじゃあ、絵を描く、つまり平面上になんらかの形を取る根拠っていうのは、どのへんにあるんですか?何を、そこに描こうと思うんですか?

 たとえば、雲とか、ずっと観察し続けて、雲の流れや形を全部忠実に描き写してくと、見えてくるものがあって。書道で言う「入って抜けて」なんですけど、そういう、美しい自然の流れっていうのは、ほとんど全部一緒なんですね。音楽も一緒。書道も一緒。美とされているものは一緒なんだって思ったんですね。
 そうなると、絵を描くことや表現することが、自分にとっては哲学みたいになってきます。絵とは?っていうところから入って、こういう、自然界の物体とは?ということになってく。そういう自然の波動だったりとか、絶対的な元のものを表現したくなってきて、だんだん形はなくなってきました。

ーあのオブジェもそうですね?なんかこう、向き合って波動を出し合っているっていう。あの形をとってるけど、ひょっとして、人間もそういうふうに見えますか?

 見えてますね。もう、そんなふうにしか、見えてなかったですね、以前は。嫌いだったんで、人間は。その、何かいい波動を出すんじゃなくて、いがみ合ってたりとか、そういう波動しか見えて来なかったんで。なんて言うんですか?セキュリティーの、こういう赤い光線、ああいうかんじだったんです(笑)。しがらみっていうか、どこを触っても、いやなことばっかりがあって。

ー仕事がお休みの日とか、何してました?

 なんか、ずっと絵を描いたりしてましたね。

ーオブジェとか、ああいう作品も?

 作ってましたね、絵を描くのと同じような感じで。部屋の中は、いつもガラクタだらけでしたね。会社の上司も、いらないものをくれるんです(笑)。シュレッダーで、業務用の紙とか出るじゃないですか。「持ってくか?」って言われて、「持ってきます」って、もらって来るんです。別に、何かやってるって知ってるわけじゃないんですけど、ちょっと変わったヤツだっていうのは、みんな知ってて(笑)、いらないゴミが出ると「持ってくか?」って。

ーベニヤ板に描いた絵があるじゃないですか。あれは、なんで板に描き始めたんですか?

 最初は、単純に、キャンバスが高かったからなんです。キャンバスって、高くて完成されたものじゃないですか。あるときふと、この、商品として完成されたキャンバスを越えられる絵って、わたし描けるの?って思っちゃったんですよ。キャンバスはキャンバスのまま、もう完結した方がいいんじゃないかって。
 で、ベニヤ板だったら、大きさも自分でノコギリで切れるし、いらなくなったら燃やせる。最初は、そんなところから入ったんですけど、実は、ベニヤ板に描いた方が照りもいいし、だんだんキャンバスに描くよりも好きになりました。

ーそこで、紙とか、いろいろ試すんじゃなくて、ベニヤ板に行ったのはなぜですか?

 力強さかな。オイルも結構使うんで、耐久性とかも。布に直接描いてみたこともあったんですけど、うまくいかなくて。布って思った時に、すぐ部屋にあるもので、カーテンに描いてみたこともあるんですけど。

ー彫金をやろうと思ったのは、なぜですか?

 いろいろな仕事をしながら、ずっと、作品を作ってきたわけなんですけど、どっちもなんか、仕事にしても、作品を作るにも、プロじゃないし、プロとして何かをやりたいって、思い始めたんです。プロっていうのはつまり、お金が発生するもので、お金になるもので、表現しながらできるものはなんだ、って考えた時に、たまたまそれが彫金だった。

ー仕事として成立させようっていうのが、最初からあったわけですね?

 そうですね。でも、本当に最終的な目標は、発言権が欲しいんです。
 少数派は、いつも取り上げてもらえなくて、みんなと同じ意見の方に絶対流れるんですよ。いつも、それを疑問に思ってて、自分のアイディアは、結構いいアイディアだと思ってるんだけど、誰も聞いてくれないって。だけど、いつか発言権を得られたら、それを言いたいって、言わせてくださいっていう、言う場が欲しいっていうか。何かの実績があれば、多少は、まったくはじいてた人も、多少は、耳を傾けてくれるかなって思って。

ー発言権ですか。それは、何か具体的なことを目指してのものなんですか?

 最終的には、言い方はちょっと違うんですけど、ボランティアのようなことじゃないかと。なぜか常に、精神的に悩んでいる人とか、貧しい国にたまたま生まれちゃって、生活が出来ない子供たちを、なんとかしてあげたいっていう気持ちがあったんです。ボランティア活動をしたいっていうかんじとは、ちょっと違うんですけど。
 一時期、親に相談したことがあるんですね。給料を全部寄付したらいいんじゃないかって言われて、それはできないって思った時に、自分の考えてることは偽善なんだろうかって、思ったんですけど、でも、やっぱり、そういうことじゃなくて。
 今は、お客さんが結構来てくれて、会社でこういう悩みがあるんですっていう話まで、なぜか行ってしまって、私も、結構経験がある方なんで(笑)、そういう相談にのってることの方が、商売していることよりも、すごく嬉しくて。「あ、役に立てた」みたいな(笑)。

ー今の日本の社会って、勝山さんにはどんなふうに写ってるんですか?

 なんか、やっぱり、お金持ち優遇の社会の延長に歪んでしまって、それが、子供達にも影響が来てて、歪みに歪みきってるって感じます。

 私、小学校の頃から、日本はもう終わりだって思ってたんですよ。日本から脱出しなきゃって。日本を動かしている人達のやってることが、到底正しいことだと思えなくて、この人達が動かしているんだったら、もう日本は終わりだと思ってましたね。
 で、社会人になりたての頃は、大人の社会はきっと大丈夫、日本のトップがああであっても、小さな社会を見れば、大人の人達はきっと大丈夫って、思ってたんです。けど、就職して知ったのは、子供よりひどい世界だったっていう。
 もうどうしようもないなあと思って、24ぐらいのときに、わたしはもういいって、思ったんですよ。絶望しちゃったんですね。憧れてた大人の世界はないんだ、もっと歪んでるんだって、もう死にたいって。まあでも、ただ死ぬのもなんだからって、旅に出たんです。ニュージーランドに行って来たんですけど。

ーニュージーランド?どういう経緯でニュージーランド行ったんでしょうか?

 なんで行ったんですかねえ……。別に、理由はなかったと思うんですけど、どこでも良かったんですけどね。衝動的で、もう、保険とか、一切みんな解約して、有り金ぜんぶ持って行ったんです。帰って来ようっていうつもりも、なかったですからね。2、3週間くらいいたのかな、ちゃんとしたホテルじゃなくって、だいたい、停まってる車に潜り込んだりとか、安いところで相部屋で寝たりとか、そう、公園の水道で頭を洗ったりしながら、転々と、一周、まわってきました。雄大な、壮大な大自然で、やっぱり、こっちの方がいいなって思いましたね。動物になった気分。

ーそこで何か、絵を描いたりとかは、してましたか?

 描いてましたね。画材は、持って行きましたね。それで、やっぱり木の板が必要なんで、木工所を探して、探したけどなくて、お店の人に教えてもらって、訪ねて行って、木工所の人に「どんなのがいいんだ?」とか「こういう素材だけど大丈夫なのか?」「どのくらいの大きさに切るんだ?」とか、なんか、そういう、向こうの人達との会話の中で、やっと、「あ、人っていいな」って、思えたんですよ。
 郵便局に行って、分からなくて困ってたら、なぜか、おばあちゃんが手伝ってくれたり、世話を焼いてくれるんですよ、みんな、言葉もわかんないのに。そこが、すごく良くって。木工所の人も、この板を3等分にしてくれって言ったら、ああいいよって、切ってくれたんですけど、手元に来たら、ぜんぜん3等分じゃないんですよ。ばらばら(笑)。3枚だけど、等分にはされてないんですよ。ああ、このくらいでいいんだなあって思って。この適当さでいいんだって思って。

ーニュージーランドで救われて、良かったですね。

 ほんっとに良かったですよ(笑)。そこから、再出発ですね。
 で、ニュージーランドの後に、フランスとグアムに行ったんです、ほとんど同時期に。まったく文化が違うじゃないですか、かたや、理屈っぽい文化を重んじるような、かたや、裸でチャモロダンスしてるような、全く異文化で。けど、実際に行ってみたら、あ、同じなんだって思ったんですよ。たまたまこっちはネクタイしてるけど、こっちは、たまたま裸なだけで、でも、一緒なんだなって思ったんですよ。そこに境界線みたいなものはやっぱりないんだって。

ーそれは、何でそう感じたんですか?

 なんでですかねえ、なぜ思ったのかは、わからないんですけど、踊ってる人達の顔とか、まあ、踊ってるとこを見てたら、そう思ったんです。ただ脳天気に踊ってるわけじゃないんだっていうか。
 フランスに憧れはあったんですけど、街の造りとか、街全体を、そこに住んでる人が、楽しんで、愛してるのであれば、理想のところだって思って行ったんです。けど実際は、もちろん、街はすごく良くできてるんですけど、すごく、貧富の差が激しくて、パン屋さんの前でパンをせびってる女の子とかいっぱいて、あ、楽しいばっかりじゃないんだなって、思ったんですよ。
 だけど、自分は、お金を持ってる人にも持ってない人にも、みんなに平等でありたいから、理想は無料で、無料で何かを提供したいっていうのが理想なんですけど。お金がないからこの曲が聴けない、とか、お金がないから絵が見れないって、そうじゃないじゃないですか。

ーどんな世の中が理想で、どんな世の中になって欲しくて、自分は、何をしていたいですか?

 自分は、貧乏でいたいですね。貧乏で、絵を描いたりして、物々交換をして、生活したいですね。困ってたら、お米作ってる人が「じゃあ、お米あげるよ」って、「じゃあ、その絵あげるよ」みたいなかんじの(笑)。
 ほんとうの意味で助け合える世の中がいいと思います。だから、みんなが、もっと貧乏だったらいいなって思います。もっと野生に近い、でも、高等動物だから、絵も描けるし、字も書けるし、言葉も交わせる。
 なんか、ちょっと、人間は、もうちょっとアタマ悪くても良かったんじゃないかなって。それか、もっと、突き抜けて本当に良ければ、戦争なんて起こす必要もないし、みんなが、もっと平和に生活できるように考えることが、いくらでもできるじゃないですか。必要なものって、そんなにないと思うんです、生きていくうえで。

 § § §

 多岐にわたる表現の変遷を伺っているうちに、とても大きなアイディアの話になっていました。もしかしたら、理想という部類に入るアイディアではあるけれど、世の中のすべてが幸せであって欲しいという、本当に、みんなが持つべき気持ちです。自分だけが良ければいいのではなくて、自分が良くあるためには、全体も、みんなが良くなければ、世の中は歪んでしまう。
 お話を伺った彼女のアトリエは、片隅に彫金のための作業台があったり、壁には作品が無造作に掛かってたり、漆黒のちびっこい愛犬が、控え目な愛くるしさで出迎えてくれたりします。一杯のお茶で、ずいぶん長居をしてしまいました。

【Ngene掲載:2007年3月9日】

前編|後編|

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勝山ゆかこ
1975年長野県須坂市生まれ。長野市在住。
絵、オブジェ、インスタレーション、写真、イラストなど、手段・手法にとらわれず独自の切り口で創作活動を続けている。2006年から新たにハンドメイドの彫金ブランド百文[ momon ]を展開。
momon | Yukako Katsuyama
百文[ momon ]
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プロフィール

宮内俊宏

Author:宮内俊宏
音楽・文化・アートを柱に、社会が、おもしろく、少し幸せになるような、いろいろなことを試みています。

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