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霜月まつり

 宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」の冒頭。次々と夢幻の岸辺に降り立った、八百万の神様たちが、陽が落ちてあたりが暗くなるころ、灯りのともり始めた油屋という温泉宿に集まって、賑やかに宴を繰り広げる。
 これは、宮崎駿監督が、テレビで見た霜月まつりから着想を得たという。長野県の最南端、遠山郷から天龍村にかけて、古くから伝わる霜月まつり。全国の神々を里に招き入れ、一晩中、湯を立てて、神楽を奉納する、素朴で荒々しくも優雅な祭です。

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 2007年12月10日夜、遠山郷、木沢正八幡神社。
 それは、すごい祭でした。

 一晩中、断続的に続く太鼓、鈴や笛の音。次々に、神楽歌や舞い、祈りが奏上される。三つ並んだ竃には、絶えることなく薪が焚かれ、ぐらぐらと湯釜が煮えたぎる。夜半を過ぎて、神々の面(おもて)が続々と登場して来るころには、眠気と湯気と煙で眼が痛くなってくるのだけれど、面白くて、そこを離れることができません。
 哀調を帯びた笛の旋律はシンプル。楽しませるようなドラマティックな展開はありません。奏上される言葉の意味もほとんどわからなくて、観衆は、そこで行なわれることを、社殿の中で環視しているだけなのですが、どうして、この祭はこんなに面白いのでしょう。

 遠山郷は、長野県の東南部を南北に走る伊那山脈と赤石山脈に挟まれた渓谷の里。切り立った山々が、迫るように東西を挟み、つづら折りの谷筋を流れる遠山川に沿って、集落が点在しています。霜月まつりは、この遠山郷にある13の神社と、南隣りの天龍村にある3つの神社で、12月初旬から翌正月初旬までの間に、順次行なわれるのです。多くが旧暦によって行なわれるので、曜日は関係なく、今回訪れた木沢正八幡神社の霜月祭も、月曜日の夜でした。

 木沢正八幡神社。
 長い、急な石段を登ったところに、大きな杉の樹々に囲まれた社殿があります。神殿の奥に、古い大きな神棚を構える座敷があって、手前には、土造りの大きな竃を中央に設えた土間があります。この竃の周囲が、舞殿、祭の舞台です。
 祭には、正八幡神社をはじめ、村内に祀られている遠山の神様たちが、全国の神々を招待して、お湯をさしあげ、神楽や舞を見せるという物語があり、クライマックスになると、神社に奉納されている面(おもて)が、次々に登場して舞い踊ります。

 当日、朝のうちに、幣束や和紙細工で社殿を飾り付け、午後、宮司、祢宜(ねぎ)、そして、氏子の代表が集まって、お祓い、神殿の扉を開くところから、祭は始まります。そこから、幾度かお祓いや祝詞が繰返され、神々の道を浄め、呼び集め、神々への願いを奏上した後、夕方、あたりが暗くなったころに、湯立てが始まります。

 そして、翌朝、明け方に祭が終わるまで、踊りや詠い、祈祷が、延々と続きます。
 霜月まつりの祭式に関する詳細な記述は、他に良いものがあるので、ここでは割愛しますが、とにかく、神楽は、夜じゅうずうっと続きます。通奏される太鼓のテンポが、波のように押したり引いたりしながら、それにつれて、笛の音もさまざまに表情を変えます。太鼓と笛が絡み合った楽の音は、夜の深まりとともに熱を帯び、詠い、舞い、浄め、祈り、祭は次第に高揚して行きます。

 時間を追うごとに観衆の人数も増え、社殿の中は、竃の熱気と湯気と薪の煙でいっぱい。標高の高い山間地で、冬のさなかの深夜の祭、ということで、重ね着したり、使い捨てカイロを持ったり、いろいろな準備をして来たのですが、社殿の中にいると、熱くて、一切必要ありません。
 熱くて汗ばんだり、煙に燻されて涙が止まらなくなると、時折外に出て、社殿の前の焚火にあたります。冷たく澄んだ空気に漂う、芳しい薪の燃える匂い。連子窓から漏れる光と影を眺めながら、聴こえて来る太鼓と笛の掛け合いも良いものです。

 始まりから終わりまで、ずっと太鼓と笛を演奏しつづけるのは、エンジ色のはっぴを羽織った、中学生と高校生のグループです。笛の合間に詠ったりもします。中心になって吹いている子は、来春、高校受験だそうです。
 傍らで、小学生の子が数人、見よう見真似で笛を吹いています。細かいところまでしっかりした指使いで、旋律を辿っています。きっと、数年すると、あのはっぴを着て吹くのですね。

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 地元の人々も、観光や研究のために訪れた人も、この祭に来たら、芳志を奉納します。それは、入場料として徴収されるわけではなく、誰かに要請されたり、指示されたりするわけでもなく、「一口いくら」というような、奉納を示唆したことが掲示されているわけでもありません。たぶん、社殿に足を踏み入れて、祭のエネルギーに触れると、自然に奉納したくなるのです。奉納した人の名前は、半切紙に墨書されて、社殿の壁に次々と貼り出されて行きます。
 ちょうど湯立てが始まったころに到着した僕も、しばらく祭を観ているうちに、お金を奉納しないと、この祭の仲間になれないように感じて、混雑した社殿の中に社務所を訊ね、小額を奉納して、お札を受取りました。そのお札を手にしたことで、なんだか、祭の仲間になれたような、誇らしい気持ちになるのです。

 規則に従って、表示金額を払うのではありません。自分が祭に参加することの価値を感じ、その気持ちに従って、自分が払える金額を払うのです。お金が先にあるのではありません。人間の気持ちが先にあるのです。祭の空気を感じる能力、誇りを持つ能力、尊いものに敬意を払う能力、現代の日本の社会から削がれてしまった、それらの能力がなければ、成立しないことですが、本当にあるべき、お金の価値や役割が、そこにあるのだと思いました。

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 午前3時。
 祭のクライマックスで、四面(よおもて)という主役を演じる4人の若者が、遠山川の河原で、厳寒の川水を浴びて「禊(みそぎ)」をします。神社から、提灯の灯りだけを頼りに、真っ暗な林を抜けて、近くの河原まで歩くと、河原では、ぼうぼうと焚かれた大きな焚火の周りに、提灯を下げた人が集まっています。空は、冴え冴えと晴れ渡って、零れるような満天の星が見事です。

 禊から帰ると、神社では、鎮めの湯という儀式が、淡々と続けられていました。露払い的な儀式です。この後が、祭のクライマックス。舞殿の中は、観客でいっぱいになります。新しい薪が焼べられて、眼に滲みる煙の匂いが一層強くなります。

 八百万の神々の面が、氏子に案内されて、次々と釜の周りを練り歩いた後、午前4時過ぎ、四面の赤い面をつけた若者が、ひとりずつ、舞殿の中に登場します。
 神殿の奥の座敷から、威嚇するように、挑発するように、舞殿を見渡した後、力いっぱい飛び降りて、竃の周りを暴れ歩きます。半周ぐらいしたところで、勢いよく走って、観衆の中に飛び込みます。あっちへ走ったり、こっちへ走ったりしながら、モッシュ&ダイブを繰り返すのです。観衆は、それをしっかり受け止めなければいけません。
 ひとしきり暴れ回ると、待ち構えていた氏子たちに捕まえられて、もみくちゃになりながら、奥の座敷へ押し戻されます。

 舞殿の中は、湯気と煙が立ちこめて、白い煙幕になっています。眼が痛くて涙が止まりません。

 四面がそれぞれに暴れ回った後は、両老神という男女の神様が現れ、観衆の間を遊び歩いた後に、和合するような、狂言にも似た滑稽な仕草をしたり、大黒天が福を播いて一周したり、稲荷、水の神や大天狗など大人の神々が練り歩いて、午前5時過ぎ、神々はすべて、姿を消します。

 舞殿では、夜明けを告げる歌がうたわれ、宮司と祢宜が刀と塩で湯釜の四方を浄めます。
 長い祭が終わりました。

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 これだけの祭になると、学術的な興味も尽きないと思いますが、それよりも、祭のエネルギーを受取って高揚するだけで、開放された楽しい気持ちになるものです。日常的な箍がはずれて、とても自由になった精神が、ぽっかりと灯る神社の、篝火と楽の音に遊び、舞い踊る。
 こんなエネルギーは、きっと人を動かします。人の感受性が正直であれば。

 ここは、限界集落と分類される地域です。若年層が流出し、高齢者は体力に限りがあり、荒廃した農地が増え続けています。
 木沢正八幡神社の石段下では、鎌倉商店という雑貨屋さんが、祭の間じゅう店を開けて、集まる人達を歓待していました。ご主人がとても陽気で、祭では大黒天を舞うおじいちゃんです。知らない人でも、どんどん引っ張りこんで、お酒やご馳走を振る舞っています。話し好きで、日本の食料政策の過ちと、世界資本による食料市場の我田引水的な操作と、この谷間の遊休農地の悩みを、合わせて認識しているおじいちゃんです。
 「農地の荒廃は、わしらが怠けていたせいじゃない。この地域に今いちばん必要なのは、それを食い止める手だてだ」
 陽気に酔い、みんなに酒を勧めながら、しっかりした眼差しで、そうおっしゃっていました。

 祭は、その日おこなわれていることがすべてではありません。ずっと続いている、人々の生活や、地域のさまざまな状況と繋がりながら、厳しい環境の中で、それでも生きている、強いエネルギーを孕んでいるんだと思いました。それが、この祭に積み重ねられた魅力かもしれません。

【遠山郷観光協会】

【Ngene掲載:2007年12月20日】

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オトナリ GREEN SESSION

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 古来、善光寺平から飯綱山、戸隠山に至る山岳地帯は多くの修験者や参詣者が集まる同時参詣の回廊。中間地点にある飯綱高原は古くから修験道開祖の地といわれる山岳信仰の聖地でした。
 大座法師池はそんな飯綱高原の中央に位置するカラマツ林をたずさえた標高1,030メートルの湖。すり鉢状に囲まれた山々から下りる空気の響きが集まる、今でも神秘性を失わない美しい湖です。

 この大座法師池を舞台にした今回のイベントは飯綱高原イヤー実行委員会の主催。長野市の観光キャンペーンとして通年で行なわれるさまざまな行事の一環として発案されたものです。
 一番最初にあったテーマが「エコロジー」。このあたりの湿地帯はいわば麓に広がる善光寺平の水源地のひとつ。大座法師池をはじめ飯綱高原に点在する湖沼から入り込んだ山ひだを伝って、幾筋もの沢が麓の渓谷を流れる裾花川に注ぎ込み、疎水となって善光寺平を潤してきたのです。
 どこも同じですが、山が美しいと水は清らかです。日本列島は山岳が多く、山には豊かな森林が広がっています。日本の水がおいしいのはこの地形的な幸運と気候的な幸運に拠るところが大きいのです。日本の人々は、もっと山や森林について意識的になった方が良いと思います。おいしいお酒を飲むためには山の環境を整えなければいけません。

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GREEN LAB のテント、ソーラークッカー、グリーン・トークセッション

 グリーンプログラムと名づけた部分、いわゆるエコロジカルな活動をしている人たちに参加していただく部分なのですが、今回このグリーンプログラムの基軸を須坂市のGREEN LAB に担っていただきました。
 GREEN LAB は、もともとスノーボーダーのチームです。雪山で遊ぶことから山の環境を考え、単に「山をきれいに、地球を大切に」ということではなく、現代社会が組み込まれてしまっている反人間的、反地球的な構造からの離脱を目途した産業の創設を視野に入れて活動しているのです。
 具体的には、長野県で採れるカラマツなどの間伐材を利用したスノーボードや木製遊具の企画開発、製造をしながら、夏は農業に携わり冬は雪山を滑走する、森林を中心に農山村で豊かに、地球を磨り減らすようにではなくて、持続的に自然との共生をしながら暮らして行くためのライフスタイルを提案しています。

 グリーンプログラムは、このGREEN LAB を軸に、森や林、山のことや農業に関して適切と思える取組みをしている人たちに集まっていただきました。

 ごくう会は上田市のグループ。地球環境を保全しながら永続性のある活性土壌を作るための技術を確立しています。「いきいきみどりちゃん」というバクテリアを使い、その土壌とそこに生息する動植物や微生物のことを考えながら、その土地に合った活性土壌の作り方を試行し、元気な土からおいしい野菜を産み出し、それを適正な方法や価格で販売するまでを構築します。それらのプロセスを旧来の市場経済や統制農業のような効率重視の画一的な仕組みではなく、その土地や地域に備わっているものを使って組上げようというコンセプトなのです。あ、有機燃料も作れます。

 NICEは、環境、農業、福祉、教育、文化などさまざまな分野でワークキャンプなどのボランティア活動を行うNGOです。長野県内でも清内路村などで継続的にワークキャンプを行なっていて、村の中と外を面白く豊かに繋げる活動をしています。
 みどりの市民、市民の森づくり、CLUBSUNDAY、マイ農家クラブ、いろいろな団体が持続可能な循環型の仕組みを、この地球環境の中にセットしようと努力しています。

 戦後、経済効率を一義的に追求し、森林を放置し、農地を切り捨て、化学肥料や農薬で土壌を汚し、ゴリ押しの大量生産大量消費を長い間続けて崩壊させてしまった日本の基調文化としての農業や林業を、こういうひとつひとつの取組みによって甦らせることができるかもしれないと思います。

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テントギャラリー

 テントギャラリーは、数年前に勝山ゆかこさんから聞いた話が元になっています。勝山さんは人間の裸の感覚から絶対に離れない表現を、それこそのたうちまわるようにして続けて来ているアーティストです。絶対美術(という呼び方があるかどうかわかりませんが……)から早い時期に離れ、汎用的な美術の概念ではない作品が増えていった頃、取組んでいたのがテントギャラリー。「散歩してたら突然……」普通の風景の延長線上にアートを置きたい、という発想で始まった勝山さんのテントギャラリーの話でした。
 大座法師池周辺に広がるカラマツ林を見た時、その話を思い出したのです。この林の間に地球や時間や自然な人間の姿を感じさせる興味深いアートが点在したらさぞかし……。

 アートとエコロジーの関係は密接です。あるいは、同じような役割を持ったものでもあります。環境エンジニアにアートディレクションを習得した人が多いのもその表れだと思います。両方とも人々の生活を豊かにする技術です。両方とも自分の手で作ることを基本に置きます。両方ともお金を追い求めるものではありません。両方とも精神性や誇りを大切にします。両方ともクリエイティヴです。現代社会が直面している閉塞状態から抜け出すために、このふたつの分野は両輪といえるくらいに重要な要素なのではないかと思ったりしています。

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 今回は「オトナリ飯綱高原」のキャンペーンの一環として行なわれた「GREEN SESSION」でしたが、これは今後継続的に行なわれるべきアイディアではないかとも思っています。
 長野県という豊富な森林資源と高い山に囲まれた地域、水がきれいな冷涼な地域、おいしい農産物が他の地域よりもたくさん生産できる地域では、地球を磨り減らすようにして生きて行くのではなく、地球と一緒に、自然の中で、人間の気持ちを理由にした生活スタイルや産業を構築して行ける可能性は高いはずです。日本という国の状況や行政、政治も大きく影響することかもしれませんが、少なくとも、市民レベルでの認識は高める必要があって、自分のことは自分で、自分の手でいろいろなものごとを創造して行く姿勢を持つことは必ず問われることだと思います。

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【Ngene掲載:2008年8月16日】

映画「龍宮」完成

 長野県の最南端にある山あいの村、天龍村と遠山郷で撮影された映画「龍宮」が完成しました。
 南アルプス、赤石山系の深い山襞を、遠州・静岡県西部から諏訪湖の畔まで、山脈に沿って縦走する、秋葉街道と遠州街道が交錯する谷間の村々。美しい自然と素朴な暮らしを背景に、質感の高い魅力的な作品に仕上がっています。

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 監督の太田信吾さんは、現在大学4年生。「天龍村アートプロジェクト」という興味深い活動を、4年間続けて来ました。毎年夏休みに、複数の大学からアート分野の大学生を募って、天龍村へ滞在し、農作業を手伝いながら、一ヶ月間アートの制作を行なう、というプロジェクトです。この発想自体とても有意義で面白く、地に足の着いた自然なクリエイティビティーを感じます。

 先月、11月18日に、現地・天龍村で完成直前の試写会が行なわれました。
 まだ整音も済んでいないラフ編集大詰め段階の作品を持って、天龍村を再訪したのは、太田さん、助監督の川津さん、助演俳優の安西さん。
 会場の文化センターに到着すると、遊んでいた子供達が早速3人を取り囲み、「ひさしぶりだなぁ!」口々に話しかけます。「なぁなぁ、今あの人とつきあっとるんだら?」なんていうオマセな質問も、なんとも打ち解けた雰囲気。

 映画「龍宮」は、天龍村で長期滞在を重ねる中から着想を得た物語(フィクション)ということです。愛情、悲しさ、残虐性や優しさ、山間の村の純粋な美しさと閉塞性、すれ違いを生む人間の業の物語です。けして天龍村をプロモートする作品として制作されたわけではないのですが、映画は全編、天龍村や南信濃の壮大で明媚な自然を背景に、実在する村の中で撮影され、その場所に宿る歴史や文化、神秘性に触れながら、美しい物語となって進んで行きます。

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 山村の古家で、寄り添うように生きる、面彫職人の父と娘の物語。

 父の彫る面は、村を守る神社に毎年奉納される逸品でありながら、おそらく失語症のうえ極めて不器用なために、村から孤立している。娘も、やはり、村の人々に馴染めず、学校では陰湿ないじめに遭っている。どこにも行き場所の無いふたりだけの、寡黙で純粋な愛情は、純粋さゆえに理解され難く、周囲からは、奇異の眼で見られている。

 思春期を迎えた娘は変わる。父娘は、幼少期と同じではいられない。それを解釈できないまま、ふたりの間には、深い溝ができてしまう。

 かけがえのない存在を失なった後に残る、深い愛情の予感と、鬱蒼とした深山のように、また始まる変わらない毎日。問題は解決を見ないまま、物語はスクリーンから消えます。
 けれど、観終わったとき、気持ちの中に、明日のための静謐な光が残るのでした。

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 けして、テレビドラマのように、解りやすい起承転結はありません。安直な感情移入は極力排除しながら、物語の多くの部分は、観る人の想像力に委ねられているように思えます。このあたりは、機会があれば、監督の太田さんの話を聞いてみたい点ですが、この作品は、そんな余地、観る人の感受性が自由に動くことのできるスペースを、含んでいると思います。

 受取る側の想像力を信頼して委ねるところに、芸術性は生成されます。その場で消費されて終わる風俗と、普遍性を持って更に新しい想念を生む芸術の違いは、概ねそのあたりにあります。

 おそらく、物語映画としていくつかの改善点はあると思います。しかし、卒業制作として取組んだ、ほぼ自主制作の初回作品を、このクオリティーで作り上げている点は、特筆に値するものです。
 映像作品としての質の高さ、光や色彩、構図といった、ディテイルを作るセンスの良さ、村の子供達や俳優の演技を、生き生きと映像に収める手腕、天龍村に実在する民話を導入部に配し、桃源郷のような幻想的な風景を多用しながら、現代社会の卑近な問題を通底させる手法など、この作品は、単なる習作では終わらない可能性を帯びていると思います。

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 この映画が、来週12月20日に早稲田大学大隈講堂で開催される「第20回早稲田映画まつり」の本選で上映されることになりました。76作品の中から、10本程度がセレクトされた本選です。審査員は、大林宣彦、根岸吉太郎、内田けんじといった、錚々たる顔ぶれです。
 ほかにもいろいろな映画祭に出品される予定。

 楽しみです。

長編劇映画「龍宮」(2007年/88分/DV/color)
出演:宮本大誠、小深山菜美、森みつる、宮川浩明、なるせ華、安西良
監督・脚本・編集:太田信吾(第一回監督作品)
プロデューサー:伊藤愛、太田信吾
製作:天龍村アートプロジェクト

【Ngene掲載:2007年12月12日】 文、写真:宮内俊宏

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プロフィール

宮内俊宏

Author:宮内俊宏
音楽・文化・アートを柱に、社会が、おもしろく、少し幸せになるような、いろいろなことを試みています。

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